恵みの玉座に行く
2015. 11. 15
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白寅天
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へブル 4:16
ですから,私たちは,あわれみを受け,また惠みをいただいて,おりにかなった助けを受けるために,大膽に惠みの御座に 近づこうではありませんか.
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この世では何を受ける時、条件と無条件の二つの法則が作用します。自分が働く通り貰う法則と、働かなくてももらう法則です。空気や太陽の光など自然からもらうこと、ご両親から受ける愛などで当たる後者は実際多いけど、あまり人間は良く感じられなく、当然と思って住んでいます。それが無くなった時、それがどれほど大事だったのかを分かります。たぶん、この社会で人や機関の間で契約によって受ける条件的なことに私たちは良く心に気にします。これを聖書では条件的なことは律法、無条件的なことは恵みと言われます。恵みは私に資格があるからではなく、反対に資格が全然ない中に上から無条件的に受けることです。それは私が何をしたからではなく、する力がないので全的に受けることが恵みです。しかし、恵みは我らが何もしないことではありません。恵みで救われるから恵みをもっと大きくするために罪を犯すことはできません。(ローマ6:1)
聖書で律法と恵みと言う単語は各ちょうど276回出ます(韓国語の改訳聖書で)。ほかの言葉、従順(89)、信仰(225)、愛(517)、希望(97)を考えると多く出ることであり、相反する単語の数が似ていることは私たちが考える必要があると思います。律法は恵みの反対の概念ですけど、律法の姿が恵みによって現れるべきです。恵みは私たちが何をしてからもらうことではありません。神の全的な御心によって無条件的に与えられます。それは我らの心でありますし、我らと共にいます。神の恵みはいつもあり、豊かに満たされます。それはこの世の祝福も意味しますが、それより、哀れみ、平和、救い、義、命として賜物で与えられます。主の恵みは謙遜な人、主の御言葉を愛する者、正しい者、求める者に与えられます。それで、我らは恵みの玉座にイエスキリストの血を通して行くべきです。主の恵みによって真理を悟り、従順して、真の祝福が受けられますからです。私たちは律法的な行いと恵みを当然なこととして受けることで慣れています。いつも主の恵みの玉座に行ってすべてのことで主の豊かな恵みを経験する人生を過ごせますようにお祈りします。
【教会通信】
・兄弟姉妹たちが真の礼拝者になるために、主が与えられる聖なる人生によって清い衣を着させますように(黙示録 19:7-8)、主の日を待ち望む中で御霊様の力が臨まれ、主との深い交わりと従順ができますように (IIペテロ 3:11-13)、また、主の愛の高さ、深さ、広さを悟りその愛を持って過ごせますように(エペソ 3:16-19)。
・また、主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。また、主の日が近づいているのを見て、もっと熱心に互いに交わりますように(QT Shareとメールでの共有、朝のお祈りに参加して、互いに励むことが出来ますように)。
・兄弟姉妹たちが、いつも主の恵みの玉座に行ってすべてのことで主の豊かな恵みを経験する人生のために、御霊様に従って生けますように。
・矢口兄弟・ジニ姉妹が赤ちゃんをよく出産したこと感謝し、姉妹の回復と赤ちゃんが健康の中で成長しますようにお祈りしましょう。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。また、お祈りの中で、主の愛をもって彼らに福音を伝えることができますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。