勝利を得る教会
2015. 5. 30.
白寅天
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ヨハネの黙示録 2章 7, 11 節
耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。」』
耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者は、決して第二の死から害を受けることはない。」』
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今日は二部総会が有るから、黙示録の御言葉を共に考えたいと思います。黙示録2,3章では七つの教会に送る主のメッセージを記録しています。この教会への手紙を見る視点、すなわち解釈する方向ではいろいろなことが有りますが、ここでは、過去的な解釈と未来主義的解釈を考えてみます。特にこの七つの教会は主が来られる時の教会に言われていることです。それは、勝利を得る者になる理由が主の再び来られる時と直接関係があり(黙示録 2:11, 26, 3:5, 12, 21:7)、スミルナ教会への受けようとする苦難(黙示録2:10)とフィラデルフィア教会への人を試す時に来る試練から守られる(黙示録3:10)と言われますし、私は貴方の所に行って(黙示録2:5,16,25, 3:3)と言われます。これはすべて主が再び来られる時の話です。
主が手紙を送ったのは、その時の教会ですが、また、主が来られる時の教会を意味します。この教会にいつも主が言われたことは御霊が言われることを聞き、勝利を得る教会になることです。各七つの教会は、主から賞賛を受けたことがあるが、叱られたことがあります。エフェソ教会は、主に忠実な教会でした。良い行い、主のために苦労と忍耐をし、悪い人を許さないし、嘘の使徒たちの嘘を明らかにしたし、主のために苦難を耐え失望をしないし、ニコライ派を憎んだ(ただこれだけ誉めました。)教会でした。しかし彼らは初めの愛から離れました。それで何処から離れたのかを考え、初めの行いを持つように言われています。私たちはこのようなエフェソ教会ではないか自分を顧みる必要があります。前うまく出来て今も良く出来ているのではありません。勝利は戦いから得ることです。何時でもありますけど、主の日の時の教会はもっと激しくサタンと戦いが有ると思います。勝利を得る教会は神の御子で有るイエスの中で主が得た勝利を取ることです(Iヨハネ5:5、ヨハネ16:33)。主の時の勝利はキリストの血によって死を関わらず戦う証の御言葉によることです(黙示録12:11、マタイ4:4)。この勝利は御霊様の御声を聞く人が得られます。いつも主への初めの愛、十字架の愛を持ち、勝利を得、主から誉められる皆さんとなりますようにお祈りします。
【教会通信】
・兄弟姉妹たちが真の礼拝者になるために、主が与えられる聖なる人生によって清い衣を着させますように(黙示録 19:7-8)、主の日を待ち望む中で御霊様の力が臨まれ、主との深い交わりと従順ができますように (IIペテロ 3:11-13)、また、主の愛の高さ、深さ、広さを悟りその愛を持って過ごせますように(エペソ 3:16-19)。
・また、主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。また、主の日が近づいているのを見て、もっと熱心に互いに交わりますように(QT Shareとメールでの共有、朝のお祈りに参加して、互いに励むことが出来ますように)。
・兄弟姉妹たちが、主の日の教会、初めの愛を保ち、キリストの血によって勝利を得る教会として準備されますようにお祈りしましょう。
・二部総会を主が導いて下さいますように。