花婿の日を準備と用心する人生
2018. 10. 28.
白寅天
n ルカ 12:36-40
36 主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら,すぐに戸をあけようと,その帰りを待ち受けている人たちのようでありなさい.
37 帰って来た主人に,目をさましているところを見られる僕たちは 幸いです.まことに,あなたがたに告げます.主人のほうが帶を締め,その僕たちを食卓に着かせ,そばにいて給仕をしてくれます.
38 主人が真夜中に帰っても,夜明けに帰っても,いつでもそのようであることを見られるなら,その僕たちは幸いです.
39 このことを知っておきなさい.もしも家の主人が,どろぼうの来る時間を知っていたなら,おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう.
40 あなたがたも用心していなさい.人の子は,思いがけない時に来るのですから.」
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イエス様が再び来られる人は真夜中や夜明けとして比喩されています。誰も深く寝る時、目覚めていることが難しい時間帯です。主の来られることは、盗人のように何時来られるかが分からないですし、また、その時間は皆が寝る時です。寝ることは心が楽になって警戒をしないこと、放心してこの時間やこの状態には来られないと思いやすい時です。それで、人々が「平安だ、安全だ」と言う時です。多分、今が平和の時だと見えますが、実際には大きいと激しい事件があることが見られます。
あるクリスチャンたちは、熱心に主の日が近づいたと声を掛けます。最近は、引き上げられることが二回あると言う説教をする牧師も増えっています。その根拠は、雅歌2章、詩篇50編、レビ記 23章などを解釈して言います。それは大部分アレゴリー的な解釈で、それが実際になさった後、その正しさが証明されることですが、いろんな理由で説得力があると個人的に考えます。主の日が近づいている時、主がご自分の聖徒のために、主の御言葉を段々開いて下さることと思われます。
真夜中や夜明けにも目を覚まして主人を待ってる人生は、主が分かる人生を過ごすことです(マタイ25:12-13)。主が分かる人は、主と人格的に交わりし、主の十字架の上、自分を真に犠牲として捧げる礼拝をする人です(詩篇50:5,23)。この人は真夜中や夜明けでも目を覚まして、切な心をもって主を待ちます。この主の花嫁となりますように、お祈りします。
【教会通信】
・兄弟姉妹たちがいつも御霊の臨在の中で、霊と真によって礼拝する真の礼拝者の人生をすごせますように、また、キリストの死と復活に信仰によって連合される人生を過ごせますように。
・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、いつも主の十字架の元で自分を犠牲として捧げる真の霊はによって目を覚まして主を待てる人生を過ごせますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。