#388(2018-1-21)

霊的な礼拝を捧げる

2018. 1. 21.

白寅天

n ローマ 12:1

1 そういうわけですから,兄弟たち.私は,神のあわれみのゆえに,あなたがたにお願いします.あなたがたのからだを,神に受け入れられる,聖い,生きた供え物としてささげなさい.それこそ,あなたがたの霊的な礼拝です.

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主はヨハネ4:24で、「神は霊ですから,神を礼拝する者は,霊とまことによって礼拝しなければなりません.」と言われました。霊によって礼拝を捧げることは、自分を聖い、生きた供え物として捧げる、霊的な礼拝です。供え物として捧げものを捧げることで、旧約の祭祀がそのモデルです。レビ記を見ると、祭祀では、燔祭、素祭、酬恩祭、罪祭、愆祭があります。この祭祀は、自分を神様にすべて捧げること、罪の赦し、互いに和解することの意味です。そこで捧げるものとして羊や牛などを捧げますけど、それは、傷もなくけがも無い子羊のようなキリストがモデルです。

今日の御言葉、われらの体を聖い生きた供え物として神様に捧げることが礼拝だといわれます。聖い生きた供え物はイエス・キリストであり、イエス・キリストの血によって洗った人が聖い生きた供え物です。神様への礼拝は、キリストの血を通してだけできることです。霊的な礼拝の基礎は、御子を犠牲した神様の愛であることです。その素晴らしい愛によって、主のすべての素晴らしいことを見て敬拝することです。

旧約のイスラエルの人々、祭司たちは、捧げもの、獣に自分の罪を転嫁した後それを殺して血を注いて贖罪しました。その後、大祭司は至聖所に入って主に礼拝を捧げました。それは、イエスキリストによって罪が赦された人が分けた至聖所の幕を通して神に会う聖徒たちを意味します。また、キリストの霊を受けたことによってわれらの体が主に神殿となってわれらの霊が生かされて主の霊に導かれるようになって、霊の礼拝を捧げるようになったことです。霊による礼拝は、肉の理性による礼拝の儀式に参加することのもっと上になり、違う共通です。人間の理性で認識する神様、その大きい以上のことを霊的に見て敬拝することです。黙示録で出る四つの生き物と長老たちをいつも素晴らしい神様の栄光の姿を見ていつも賛美と礼拝を捧げます。この御霊様によって導かれる礼拝のために、遜った心によって自分の罪をキリストの血によって洗って、聖い供え物として捧げて、主の栄光の姿を見て礼拝できるようにお祈りするべきです。

【教会通信】

・兄弟姉妹たちがいつも御霊の臨在の中で、霊と真によって礼拝する真の礼拝者の人生をすごせますように、また、キリストの死と復活に信仰によって連合される人生を過ごせますように。

・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、御霊様によって、キリストの血によって自分を洗い、聖い生きた供えものとして自分を捧げる礼拝をする人生を過ごせますように。

お祈り下さい

・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。

・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。

・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。