#270(2015-9-27)

悲しむ者の祝福

2015. 9. 27.

白寅天

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マタイ5:3-4

「心の 貧しい 者は 幸いです。天の御国はその人のものだからです。

悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。

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研究室の学生の件で自分の偽善的なことを見ました。この姿は今回だけではなく、前も見て直すとしたけど、また同じように現れる自分自身に気になりました。なぜ矯正が出来ないのか?考える時、その自分の姿に対して悲しむことが無かったことを考えました。今日の御言葉での「悲しむ」ことはギリシャ語で「πενθέω: ペンテオ」、とても心配で苦痛の中で悲しむことです。そのギリシャ語を同じ使う所が黙示録18:15,18で、商人たちが自分に有益を与えた大きいバビロンが滅んだことを見て悲しむ時の表現で、自分の全ての事業が滅んで絶望的に心配して泣く姿と同じです。悲しむ心は貧しい、遜る心から出て、御霊様の感動から出ます。1節でみたとおり、貧しい心を持つ人だけが天国に入ります。貧しい人は自分の姿について悲しみを持っています。悲しみは決して自分を痛みや憂いの中で放置することではなく、我らの霊魂の浄化です。スパルジョンは「天国は乾いた目を持って入られなく、ぬれた目を持った人だけ入られる」と言いました。

4節の悲しみは嘆きを表現することで一番強いことです。このように私の罪に対して悲しんでいるのかです。我らは、もし有る事業で失敗したら、その理由は何か良く分析します。それでまたはその誤りをしないように最善を尽くします。我らは我らの罪に対してどれほど悲しんで、またその罪を犯さないように最善を尽くしていますか?真に悲しむ人を主は慰めます。その砕けた心を望んでおられます(詩編51:17)。悲しむ心について考えます。

1.悲しむことは、私に本当にあるべきことは無いで、あればダメなことがあることについて悲しむことです。

2.罪に対して真に心が砕けて、心を裂けることです。(ヨエル2:13) それで、今はそれを見ることも汚れて汚らわしいになることです。(マルコ7:18-23)

3.御霊が悲しみの心を注いて下さる時可能です。ゼカリヤ12:10

真に心の深い所で自分の罪に対して、また、義を行う力が無いことを悲しんで、主の御前に切な心を持って出て、慰められ、その罪から勝利を得る皆さんとなりますようにお祈りします。

【教会通信】

・兄弟姉妹たちが真の礼拝者になるために、主が与えられる聖なる人生によって清い衣を着させますように(黙示録 19:7-8)、主の日を待ち望む中で御霊様の力が臨まれ、主との深い交わりと従順ができますように (IIペテロ 3:11-13)、また、主の愛の高さ、深さ、広さを悟りその愛を持って過ごせますように(エペソ 3:16-19)。

・また、主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。また、主の日が近づいているのを見て、もっと熱心に互いに交わりますように(QT Shareとメールでの共有、朝のお祈りに参加して、互いに励むことが出来ますように)。

・兄弟姉妹たちが、真に心の深い所で自分の罪と義を行う力が無いことに対して悲しみを持って主の御前に行き、主によって慰められ、その罪から勝利を得ることが出来ますように。

お祈り下さい

・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。

・主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。また、お祈りの中で、主の愛をもって彼らに福音を伝えることができますように。

・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。