主が清くあられるように自分を清くする
2022. 2. 20.
白寅天
n Iヨハネ 3:2-3
2 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。
3 キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。
n Iペテロ 1:16
16 それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない」と書いてあるからです。
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今日は、今まで6週の間考えた、主が清くあられるように自分を清くする人生の六のポイントについて整理したいです。「清い」のことは、ギリシャ語で、Hagnosで、聖を意味する、Hagiomaiのから来た言葉です。清いことは聖なることは同じ語源をもっています。聖なることは、恐れる神の真の姿です。人間は罪を犯して汚くなり聖なる神から離れるようになりました。それで清い人生を過ごすことは聖である神に似たものとなること、罪から離れて義の人生を過ごす意味です。特に、Iペテロ1章では、自分の欲望に従って生きた昔の者から離れて神の従う者となることを意味します。
この清い人生は、罪によって汚れて滅びるべきものが子羊の血によって清くなって救われる姿あります。神は清い聖なる方であるから、この汚れたこと共におられないからです。次はどういう清くなる人生を過ごせるかを整理します。
1. 自分を罪と偶像から守ること。
2. 従順の人生が清い人生であり、このために、自分を良く見て従順の人生を維持する。
3. 裁きの主であり、命の元である、子羊の血によって自分を清く洗うこと。
4. 聖徒の正しい行いによって光輝く清い麻布、花嫁の婚礼の衣を準備する。
5. この世を愛して、姦淫の女によって自分を汚れないこと。
6. 上から来る知恵、御霊様の実を結ぶ、主と同行する人生を過ごすこと。
毎日、毎瞬間、主と親密に歩む人生、自分を清く守る人生を過ごせますようにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、毎瞬間、目を覚まして自分を献身して、主と親密に歩む人生、自分を清く守る人生を過ごせますように。