#534(2021-1-24)

霊魂の放蕩について

2021. 1. 24.

白寅天

n ルカ21:34

あなたがたの心が,放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに,その日がわなのように,突然あなたがたに臨むことのないように,よく気をつけていなさい.

n マタイ23:25

忌わしいものだ.僞善の律法学者,パリサイ人たち.あなたがたは,杯や皿の外側はきよめるが,その中は強奪と放縦でいっぱいです.

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今日は聖書が言われる、放蕩について考えます。この放蕩は私たちの心、すなわち、霊魂が鈍感になって寝るようにすることです。聖書で出る放蕩は、肉と霊魂の二つで適用されます。ここで、放蕩は(ルカ21:34)κραιπάλη[kraipalé]で 放蕩、過多の意味、(マタイ23:25)ἀκρασία [akrasia]で無節制や節制が無いことの意味です。簡単に整理すると、節制が無く、楽しみの過ぎて落ちることです。聖書での放蕩の対象は、お酒、性、他の肉の快楽に節制が無く、過ぎて生きることを文字的に言われますが、それは霊魂についてもっと我らクリスチャンに言われています。

教会に出席している人々は、お酒や乱れの性関係など放蕩の人生を過ごす人は多くないと見えます。それで、今日の御言葉(ルカ21:34やマタイ23:25)は自分とあまり関係がないと思う傾向があると見えます。しかし、マタイ23:25は、主がファリサイ派の人々に言われたことであることを覚えるべきです。主は「あなたがたは,杯や皿の外側はきよめるが,その中は強奪と放縦でいっぱいです.」と言われます。彼らの外は、お酒に酔うことや乱れの性関係は無いかもしれないけど、中は放縦があると言われました。その放縦は、霊魂の肉的な放縦です。

外に見える肉的お酒や乱れではなく、霊的な酒や乱れの意味です。それは何ですか?それは人の霊魂に刺激と楽しみと満足を与えることです。これは自分の満足であり、自分の義となることです。これはどれほど私たちの生活で会うことが多いでしょうか。神様でない、自分の満足する、神様以外のすべてのことを意味します。これらはお酒や乱れのように、節制が出来ず、それを過ぎてその中に落ちやすいです。これは人が放蕩になり、鈍感になって、寝るようにします。これが、私たちが恐れおののいで自分の救いを達成するべき理由です。

毎日、遜る心をもって自分を良く顧みて、霊魂の放蕩に落ちらないように、目を覚まして祈る人生を過ごせますようにお祈りします。

【教会通信】

・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、主の日が近づいている時期、毎日、遜る心をもって自分を良く顧みて、霊魂の放蕩に落ちらないように、目を覚まして祈る人生を過ごせますようにお祈りします。

【お祈り下さい】

・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。

・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。

・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。