倫理と霊的な人生
2015. 10. 18.
白寅天
-----
テモテへの第二の手紙 3:16
聖書はすべて,神の霊感によるもので,教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です.
コロサイ人への手紙 1:6
この福音は,あなたがたが 神の惠みを聞き,それをほんとうに理解した時以来,あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって,世界中で,実を結び広がり続けています.福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです.
-----
「彼は法が無くても生ける人」と言う言葉があります。たぶんこの人は十分倫理的に住んでいて、法律が無くても、もうその中で生きている人と見えます。倫理は人として当然にしなければならないことや守るべき道理だと言われます。人間の社会を動物と近く高い存在として区別することがこの倫理だと思います。この倫理では国、社会、家族、職場での色々な倫理があります。倫理は有る立場で必要な倫理の目標や基準を教えて従うように繰り返して教育や訓練をすることを含めます。それでこの倫理がクリスチャンにも入りました。これがクリスチャン倫理と言われると思います。ある神学校の教授は教会がクリスチャン教育を行う場所だと言いました。聖書は神を信じている人々にこの聖書の真理を守るように教えることを命じておられます(マタイ28:19,20)。自分の子孫に続いて神の律法を守るように教育することを言われます(申命記6:7)。神の真理を良く分かって守ることは、何回言って強調しても過ぎないことです。
社会や職場である倫理は法律を超えて、それを守る時、もっと豊かな生活が出来るからお勧めすることです。それでその基準や行いの模範を提案しています。キリストの教会でも似ています。教会は聖書に基づいて自分の倫理を立ちます。それでこの倫理は自分の教会や教団の文化になります。ある教会に行くとその教会の倫理に従います。この傾向の一つの危ないことはこの倫理が御言葉の真理、すなわち神の御心より、自分の生きる方向でもっと大事な基準になり易いことです。この倫理が宗教活動化になってそれを従うことだけで充分だと満足する間違う道に行けばならないです。
何時も、御霊様による霊的な命に基づくべきです。真の悔い改めの基礎で、自分の倫理の基準は神様の御心で有ること、自分の良い改善がただ御霊様の力によることが何時も元になるべきです。御霊様の力によって正しいクリスチャンの倫理の人生を過ごせますようにお祈りします。
【教会通信】
・兄弟姉妹たちが真の礼拝者になるために、主が与えられる聖なる人生によって清い衣を着させますように(黙示録 19:7-8)、主の日を待ち望む中で御霊様の力が臨まれ、主との深い交わりと従順ができますように (IIペテロ 3:11-13)、また、主の愛の高さ、深さ、広さを悟りその愛を持って過ごせますように(エペソ 3:16-19)。
・また、主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。また、主の日が近づいているのを見て、もっと熱心に互いに交わりますように(QT Shareとメールでの共有、朝のお祈りに参加して、互いに励むことが出来ますように)。
・兄弟姉妹たちが、御霊様の力によっていつも真の悔い改めと葡萄の木である主に繋がることによってその実を結ぶ人生を過せますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。また、お祈りの中で、主の愛をもって彼らに福音を伝えることができますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。