#108(2012-7-22)

【メッセージ】『礼拝の意味』 白寅天師

ヨハネによる福音書 4章 24節

神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝す

べきである」。

人間は神様に礼拝することができる、また礼拝すべき存在です。神様は私たちの礼拝を望

んでおられますが、無理やりに私たちに要求してなく、自ら心をもって礼拝することを待って

おられます。礼拝の意味では三つを考えられます。初めはWorship -worth(価値)ship(身分)で

価値があることをささげることの意味、すなわち、神様を礼拝することの意味はその方に最高

の価値をささげることです。次はServiceの意味でへブル語でebed,僕と愛がある主人の間の

関係を表します。すなわち神様をしたがって使える行いの意味です。三番目、Liturgyの意味

で(ギリシャ語Leitourgia)神殿や聖幕で行った犠牲の祭祀を表すことで、犠牲をささげること

の意味です。これらすべてが私たちの積極的な行いと参与を強調しています。今日の御言葉の

ように、神様に礼拝する時には、霊と真とをもって礼拝すべきです。霊で礼拝することは人の

肉の考えや人間の形式があることではなく、信仰をもってわれらの中でおられる聖霊を通して

行うことの意味であり、どんな形式や場所に関係なく神様に礼拝できる意味もあります。ま

た、真の心をもって神様に礼拝することです。自分のすべての心をもって(マタイ22:37)神様

を賛美し使えることです。詩編95:6と96:8のように主の御前で膝を回って、平伏し、供え物

を携えて神の庭に入って、主に礼拝することをしなければならないです。礼拝は神様の聖なる

掲示に対して対話の形式で出るわれらの答えです。また私たちのすべての行いと聖徒たちの交

わりを含めて、私たちの人生と直接つながっていることです。礼拝の時、神様は観衆であり、

牧師や音楽員は演劇を手伝う助演や演出家であり、会衆は俳優です。私たちのすべての日常生

活が礼拝の一部分です。皆さんのすべての人生を通して神様に合う礼拝をささげますように祝

福します。