救いの確信について
2019. 9. 8.
白寅天
n Iヨハネ 5:11-13
11 そのあかしとは,神が私たちに永遠の命を与えられたということ,そしてこのいのちが御子のうちにあるということです.
12 御子を持つ者は命を持っており,神の御子を持たない者は命を持っていません.
13 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは,あなたがたが永遠の命を持っていることを,あなたがたによくわからせるためです.
---
今日は私たちの救いについて分かち合います。これは最も基礎的な話だけど、最も大事なことだから私たちの福音の中でのよう分かち合うものです。説教のタイトルを「救いの確信」としました。聖書で直接この表現はないけど、聖書の中で言われる大事な概念です。特に今の有る教会では強調されることです。これについて、私たちが福音の中で強調するべきことをもう一回確認して行きたいと思います。
新約聖書での記者が、自分が書いている手紙で、それを読む聖徒たちが、自分に永遠の命を持つことを分かることについての望みを直接書いたのは、このIヨハネ5:13です。使徒たちがいる招待教会では、教会が初めに立てているし、教理が確定されてないし、英知主義など異端の思想が教会を混乱するようにしていました。勿論、教理が人々をもっと危ない所に連れて行く危なさもありますが、その当時に、使徒ヨハネは自分の中で御子がいる聖徒たちが、自分に永遠の命があることを分かることを望みました。勿論、その聖徒たちは、単純にイエスを知的に理解して認定する意味の受け入れることではなく、自分が死んで主が真の自分の主人となって生きることを分かったことです。
このように、主が自分の真の主人となる生まれ変わりの信仰を経験した人の救いは、聖書の約束の通り、主の恵みと守りによって、無くならなく、永遠に守られることを信じます。これが救いの確信です。
今を住んでいる私たちが、救いの確信がなければ、自分の信仰が何かについて確信がないからです。自分の中で生まれ変わった人生の証拠、すなわち、主が真の主人となっている証拠が良く見えないから、自分が生きている証拠が多くみられるからです。自分が主に会った経験、すなわち、自分の主人が変わったことが有る人は、自分では恐れおののいでそれを達成するべきです。その救いを自分の人生の終わりまで、主に会う前、守って下さるのは主の恵みです。それで、我らは自分の弱さに関わらず主の恵みにお委ね、もっと自分の信仰の道を走ることが出来ます。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い娘の人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、主が自分の真の主人となって生けますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・まだ主に会う経験がない人は真に主に会うことが出来る恵みを、他には恐れおののいで自分の救いを達成する人生を過ごす恵みを求めますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。