真の礼拝者:主の栄光の住まう所を愛する
2018. 2. 11.
白寅天
n 詩篇 26:8, 27:4
26:8 主よ.私は,あなたのおられる家と,あなたの栄光の住まう所を愛します.
27:4 私は一つのことを主に 願った.私はそれを求めている.私のいのちの日の限り,主の家に住むことを.主の麗しさを仰ぎ見,その宮で,思いにふける,そのために.
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ドラマを見ると、恋愛する人々が互いを愛して、会いたいので、涙を流すほど相手を掛けることを見ます。相手を思うと切の心があるからです。今日の御言葉、「主よ.私は,あなたのおられる家と,あなたの栄光の住まう所を愛します.」(詩篇26:8)を見ると、その詩篇の作者、ダビデの切な心が読まれます。それで、彼は、彼の人生で、ただ一つのこと、主の家で主の麗しさを仰ぎ見ることを強く望みました。
主が居られる所は、主の神殿、聖所と至聖所です。神様はイスラエルをエジプトから出せた時、初めに主の幕屋を作って、そこで自分の罪を洗い、主に会って主を礼拝するようにされました。デビでは主を礼拝する場所、神殿を作ることが彼の一番大きい望でした(歴代上 28:1-6)。彼がどれほど主の住まい場所を愛したのかは詩篇の多い所で記録されています。ソロモン王から建てられた神殿はイスラエルが神様に捧げる祭祀の場所で、そこで神様に会う場所になって続きました。その神殿が罪びとによって汚れた時が良くありましたけど、多い祭司たちがそこで主に会い、礼拝を捧げました。エゼキエルは主が統治される時、全世界の汚れたことを直し、主に礼拝を捧げる神殿を見てそれを伝えました。
神様を礼拝するは救われた人々の創造と存在の一番根本的な理由であり目的です。主はこの礼拝者を主の花嫁として受け入れて永久に主の家で住むようにされます。神を愛する人は主の栄光の住まう所を愛します。主の家に行って主に会う礼拝者の人生はわれらの生きる意味そのままです。
祭壇で、子羊キリストの血によって自分の罪を清く洗い、自分を生贄として捧げること。聖所で主の光と力によって導かれて、至聖所に入り、待てておられる主に会い、愛の交わりをすること-聖幕のお祈り-を主は望んでおられます。
主の幕屋、至聖所で主と深く会い、愛の交わり、真の礼拝を捧げる私たちとなりますようにお祈りします。
【教会通信】
・兄弟姉妹たちがいつも御霊の臨在の中で、霊と真によって礼拝する真の礼拝者の人生をすごせますように、また、キリストの死と復活に信仰によって連合される人生を過ごせますように。
・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日主が居られる家、主の幕屋に行って、至聖所で主と深く会い、愛の交わり、真の礼拝を捧げる人生を過ごせますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。