【メッセージ】『真の福音化となるために』 白寅天師
ガラテヤの信徒への手紙 2:19-20, 3:3
2:19-20 わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法に
よって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられ
ています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリス
トがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において
生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神
の子に対する信仰によるものです。
3:3 あなたがたは、それほど物分かりが悪く、“霊”によって始めた
のに、肉によって仕上げようとするのですか。
▼30年の前、ある牧師が「福音化か宗教か」のタイトルで文をクリスチャンの雑誌で寄稿しま
した。そこで宗教化なる教会の問題を四つ、「激しい分裂、礼拝所の神殿化、信仰のシャマニ
ズム、教会の物量化」次を指摘しました。30年が過ぎた今はこの現状が最高になっています。
これは人の人格、自分の権威と高くなる、世俗化で要約されます。これの元は自分が死んでな
く、自我が生きて自分が高くなり、この世を求める、人間の罪の働きで有ることを明確に見る
ことが出来ます。これは自分がキリストと共に死んでキリストと共に生き、自分の罪に従わな
く、御霊に従う、命の福音の力が全然見つかれないことです。教会の宗教化の意味は福音によ
ると見える形は有るけど、真の福音の力は無いことです。どれほど、神様の御心の痛みが有る
でしょう!▼教会の中でキリストによる義、新生を言うから自分は救われたと思いながら、真
の福音による変化と霊の人生が無しで、滅びに行くことも知らずにいる今の教会はどれほど大
きい悔い改めを持って主に真に帰るべきでしょう。聖書を見ると、私たちの昔の肉は律法に
よって束縛されて罪と死に渡されましたが、御霊によってキリストと共に律法に対して死んで
律法から自由になり、霊に導かれて義の実を結び、命を得た、福音の真理を語ります。(律法、
肉、罪、死) <--御霊によってキリストと共に死ぬことと蘇る--> (御霊、義、命)を言われます。
昔の者が死んで新たに生まれることです。初めに言った宗教化の現状はすべて自分が死んでな
く、自分が生きて、自分のために、自分がすることから始めます。これが律法的に行くと宗教
化になり、世的に行くと世俗化になることです。元は自分自身と罪です。これが「“霊”によっ
て始めたのに、肉によって仕上げようとする」ことです。▼信仰によって御霊を受けて、我ら
の中でおられる御霊に従う(ローマ8:5)、すなわち、御霊に導かれる(ローマ8:14)ことです。御
霊様の導きに従って、御霊に導かれて、自分と言う教会から福音化されますようにお祈りしま
す。