#234(2015-1-11)

【メッセージ】『殻だけの礼拝と真の礼拝』 白寅天師

ヨハネによる福音書 4章 24節

神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなけれ

ばならない。」

ローマの信徒への手紙 12章 1節

こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自

分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、

あなたがたのなすべき礼拝です。

先週、新年の礼拝で真の礼拝は何かちょっと考えました。礼拝とは「御言葉とお祈りを通して神に会い

服従することによって神様を直接体験すること。神様に関するすべてのことに対する人のすべての正し

い反応」と言いました。真の礼拝は私たちのすべてのことを清い生きた供え物として神にささげること

です。今日は真の礼拝が何か、また真の礼拝が出来ない原因を考えるために、真の礼拝では無い礼拝、

「殻だけの礼拝」を私たち自分自身また周りから具体的に調べます。

殻だけの礼拝の姿

- 体は礼拝の場所にいるし、口では礼拝を言うけど、心は礼拝していない態度

- 宗教活動の礼拝 – 本質を失って形式主義に落ちた礼拝

- 自分の義を求める礼拝

真の礼拝

- 全ての心が主に向かう礼拝

- 形式が有るけど、毎回新たになる礼拝

- 自分の義ではなく、イエスキリストの御業に基づいている礼拝

- 御霊様の力による礼拝

真の礼拝は救いととても強い関連があります。救われた人は真の礼拝を捧げます。真の礼拝者は自分の

力ではなく主によって変わる人であり、へりくだって愛する人です。真の礼拝者は自分、自我が出てな

く、ただ主が出ておられます。これらが口だけではなく、生で出るべきです。このように御霊様に恵ま

れている人です。形式だけではなく真の礼拝を捧げますようにお祈りします。