#380(2017-11-26)

高慢と鈍感から離れる

2017. 11. 26.

白寅天

n エゼキエル 31:8-11

8 神の園の杉の木も,これとは比べ物にならない.もみの木も,この小枝とさえ比べられない.すずかけの木も,この大枝のようではなく,神の園にあるどの木も,その美しさにはかなわない.

9 わたしが,その枝を茂らせ,美しく仕立てたので,神の園にあるエデンのすべての木々は,これをうらやんだ.

10 それゆえ,神である主はこう仰せられる.そのたけが高くなり,そのこずえが雲の中にそびえ,その心がおごり高ぶったから,

11 わたしは,これを諸国の民のうちの力ある者の手に渡した.彼はこれをひどく罰し,わたしも,その悪行に応じてこれを追い出した.

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今週、エゼキエル聖書勉強(31-32章)したことを分かち合います。この場所はエジプトの滅びについて言われます。エジプトが昔は大きいで美しいでしたが、その高くなったことと美しいことによって高慢になって、神は彼を敵の手に渡して滅びて、死ぬべき人間と,穴に下る者たちとともに,地下の国,死に渡されたと言われます。穴に下るものとしては、エゼキエル32:25,27,30,32で繰り返して、割礼を受けてないがいる穴、地下の国、即ち陰府で彼らと共に横たることを言われます。聖書の多い所である、人の高慢と堕落によって神様から追い出されたケースは多いであり、これが人間の基本的な姿であり、いつも我らが心で気に付けるべきであります。

栄光の後の高慢、これは人がこのようにならないように本当に気を付けるべきです。成功や栄光の後、この成功と栄光が自分の力から来ることとして思うことは人の基本的な属性であります。誰がこの状態からはなられますか?私はこの現状が出る一つの理由は慣れて鈍感になることだと思います。人は初めには謹慎しますし、謙遜でします。しかし、その中でいると、それにだんだん慣れます。アダムとエバがエデンの山で神の栄光と共にいる時、初めは素晴らしいでした。しかし、時間が行くと段々それに慣れます。当然なこととして思います。神様が与えて下さる恵みに段々鈍感になることです。これが高慢の状態に入った意味です。毎日、主の恵みと愛が新たに感謝で来ないともう高慢になったことです。御言葉とお祈りに毎日新たにしないとすぐ高慢になります(Iテモテ6:3-4)。聖書で、ツロ(エゼキエル27,28章)、イスラエル(Iコリント10:6-12)、また多い所で高慢と鈍感から来た堕落と罪に対して強く警告しておられます。いつも、主の御前で謙遜と恐れおののいで我らの救いを達成しますように、御霊様の助けをお祈りします。

【教会通信】

・兄弟姉妹たちがいつも御霊の導きに従う人生を過ごせますように、このために、いつも主の御臨在の中で留まることができますように、また、主の恵みよって主の部屋に入って主に深く会うことができますように。

・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、キリストと共に死んで、共に生きる人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、御霊様の助けによっていつも謙遜をもって、恐れおののいで自分の救いを達成しますように。

お祈り下さい

・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。

・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。

・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。