#344(2017-3-12)

陶器と陶器師の比喩

2017. 3. 12.

白寅天

n エレミヤ 18:6-10

6 「イスラエル の 家よ.この陶器師のように,わたしがあなたがたにすることができないだろうか.··主の御告げ.··見よ.粘土が陶器師の手の中にあるように,イスラエルの家よ,あなたがたも,わたしの手の中にある.

7 わたしが, 一つの国,一つの王国について,引き拔き,引き倒し,滅ぼすと語ったその時,

8 もし,わたしがわざわいを予告したその民が,悔い改めるなら,わたしは,下そうと思っていたわざわいを思い直す.

9 わたしが,一つの国,一つの王国について,建て直し,植えると語ったその時,

10 もし,それがわたしの声に聞き従わず,わたしの目の前に悪を行なうなら,わたしは,それに与えると言ったしあわせを思い直す.

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聖書では、神様は陶器師、人や国は陶器として比喩されています。陶器は陶器師が使用する目的に作られて使われます。ローマ9:21-24では、尊いことに用いる器、また,つまらないことに用いる器があると書いています。一つは神が, 怒りを 示してご自分の 力を 知らせようと 望んでおられるのに, その 滅ぼされるべき怒りの器、もう一つは、神が栄光のためにあらかじめ用意しておられた憐みの器があると言われます。この憐みの器として、ユダまた異邦人から自分たちを召して下さったと使徒パウロは記録しています。

また、今日の御言葉で、陶器師が自分の心で使う器、使わなく破棄する器を決定することで、使うと思っても良くないと破棄し、捨てると思ったけど、また変わって使うことが出来ることを言われます。ここでの器は国の人々を意味します。器を破棄することは国の滅びです。この滅びについての心の変化の基準は国の悔い改めと従順です。ニネベを滅ぶとした神が彼らに予言した時悔い改めたら、神はその罰を取り戻しました。一つの器は神の選びと召したことによって使うことが決めますけど、その器の心の従順によって神の対応は変わります。「高く上げることは,東からでもなく,西からでもなく,荒野からでもない.それは,神が,さばく方であり,これを低くし,かれを高く上げられるからだ.」(詩篇 75:6-7)

私たちは今行っていることについて、陶器師である神様が主観しておられることを認めて、その御心をよくわかる必要があります。悔い改めを言われること、また、目を覚まして我らの心の目がこの世から離れて天に向かうこと、とりなしのお祈りに気を付けて続けることを言われます。これが、我らが憐みの器として生き、主の御心に合って使われる人生を過ごす大事な秘訣です。主の恵みをお祈りします。

【教会通信】

・兄弟姉妹たちがいつも御霊の導きに従う人生を過ごせますように、このために、いつも主の御臨在の中で留まることができますように、また、主の恵みよって主の部屋に入って主に深く会うことができますように。

・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、キリストと共に死んで、共に生きる人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、いつも目を覚ましてお祈り中で留まり、憐みの器として会う人生を過ごせますように。

お祈り下さい

・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。

・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。

・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。