#580(2021-12-12)

自分の死の信仰

2021. 12. 12.

白寅天

n ガラテヤ2:19-20

19 しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。

20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

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先週は、ローマ 5:1「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」の御言葉によって、キリストを信じる信仰による義と神様との平和について考えました。今日は義と平和の元になるキリストを信じる信仰について考えます。

 私たちでは、救われる信仰が無く、ただキリストの信仰によって救われることを告白します。このキリストの信仰を持つことが出来ることは自分の死の信仰です。その信仰について、主は使徒パウロを通して、ガラテヤ書、ローマ書で、自分の経験と共に、私たちに掲示されました。今日の御言葉,20節で、パウロはキリストと共に十字架に付けられたと言います。これは自分の死を意味しますし、それは、19節で有るように、律法に死んだことの意味です。かれは神様に生きるために律法に対して死んだと言われることです。このような御言葉がローマ書で記録しています。「私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです」(ローマ 7:4)。ここで律法は罪の属性でいる昔の者を束縛する昔からのルールです。律法に対して死んだことは罪(昔の者)に対して死んだことの意味です。ローマ6-8章でよく書いている通り、キリストを信じる信仰、またその洗礼は、罪びとである昔の者の死を意味します。

 罪である昔の者とは誰ですか?それは神に逆らうようにする罪の元の支配で生きた自分です。使徒パルロには自分が子供の時からすべての力をもって守った、神様が与えた律法でした。彼には律法は自分の人生の全部でした。それを彼は排泄物のように捨ててキリストを求めました。自分の人生で一番大事にして生きたこと、しかし、それが神に行くことを一番妨害すること、それに対して死ぬことです。この死は主によって死なれるようになることです(ローマ7:4)。この恵みを受けて、神に対して力をもって生けますようにお祈りします。

【教会通信】

・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、主の恵みによって、自分の死による信仰、キリストを信仰を通して、神の中に生き、その実を豊かに結ぶことが出来ますように。