#279(2015-11-29)

目を覚ます人生とは

2015. 11. 29.

白寅天

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マタイ 25:10-13

そこで,買いに行くと,その間に花婿来た。用意のできていた娘たちは,彼といっしょに婚礼の祝宴に行き,戶がしめられた.

そのあとで,ほかの娘たちも来て,『ご主人さま,ご主人さま.あけてください.』と言った.しかし,彼は答えて,『確かなところ、私はあなたがたを知りません.』と言った.だから,目をさましていなさい.あなたがたは,その日,その時を知らないからです.

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聖書では、主は突然に来られると言われています(マタイ24:42、Iテサロニケ5:2-6、ルカ12:36-40)。主は、何時来られるか知らなく、突如として再び来られます。だから、映画Left Behindのような突然の引き上げられることが有るようなシナリオが考えられます。このように来られる可能性もあると思います。

今日は、マタイ25:1-13の御言葉を通して、少し違うケースを考えたいと思います。もちろん、二つ全部同じ教訓を与えると思います。突然の引き上げられるシナリオなら、花婿がもう門の前に到着して、すぐ、油を持って火がつけている乙女は祝宴に入られ、持ってない乙女は追い出せるようになると思います。しかし、マタイ25章の内容は花婿が到着する前、どのぐらいの距離を持って、僕たちの『そら,花婿だ.迎えに出よ.』という呼ぶ声がまず有ります。それで花婿に会う準備をするけど、その準備は油を準備することです。油は花嫁の装い、聖なる白い衣であり、これは短い時間で準備が出来ることではありません。心がとても急になると思います。私たちは夜のような時何時か、「花婿だ」という声を聞くようなると信じます。そお時、油が準備された者はその灯が明るく輝きますが(御霊様による栄光の見による光)、油が準備されて無いなら光を輝かせたいと思いますが灯で光が無いようになります。その油を持つためにあちこち走りながら行くと思います。

御霊による人生は主が1年後来られることを知っても、生けるようになることではありません。今、御霊によって生きる人生を過ごすことではなければ、主の時の明確なことが見えても、御霊による人生が過ごされないこともあります。その油は御霊様の油であり、毎日目を覚まして御霊に従う人生によってその実が結ぶこと、義の白い衣を着る人生、真の礼拝を捧げる人生です。今、この瞬間から御霊の油を準備する、御霊様に従う人生を過ごせますように、心からお祈りします。

【教会通信】

・兄弟姉妹たちが真の礼拝者になるために、主が与えられる聖なる人生によって清い衣を着させますように(黙示録 19:7-8)、主の日を待ち望む中で御霊様の力が臨まれ、主との深い交わりと従順ができますように (IIペテロ 3:11-13)、また、主の愛の高さ、深さ、広さを悟りその愛を持って過ごせますように(エペソ 3:16-19)。

・また、主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。また、主の日が近づいているのを見て、もっと熱心に互いに交わりますように(QT Shareとメールでの共有、朝のお祈りに参加して、互いに励むことが出来ますように)。

・兄弟姉妹たちが、いつも目を覚まし御霊様の声を聞き従順してその実を結ぶ人生、主の花嫁として、灯の油を準備する人生を過ごせますようにお祈りしましょう。

・12月19日のクリスマス・パーティに心が準備された霊魂が参加するように、また、準備する手に主が共にして下さいますように。

お祈り下さい

・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。

・主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。また、お祈りの中で、主の愛をもって彼らに福音を伝えることができますように。

・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。