#346(2017-3-26)

愛について

2017. 3. 26.

白寅天

n Iヨハネ 4:9-11

9 神はそのひとり子を世に遣わし,その方によって私たちに,いのちを得させてくださいました.ここに,神の愛が私たちに示されたのです.

10 私たちが神を愛したのではなく,神が私たちを愛し,私たちの罪のために,なだめの供え物としての御子を遣わされました.ここに愛があるのです.

11 愛する者たち.神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら,私たちもまた互いに愛し合うべきです.

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先週は両親が来て、長い時間共にいることが出来ました。前も共に旅行したことがあるけど、今回はなぜか、私の心に切な心がありました。たぶん主が与えて下さったと思います。今回は両親、特に父を福音によって使えると思って私も、妻も、静かに話す機会があると福音を話しました。仙台の隣、秋保に行ったときには、夜、熱心に伝道した朴ヒョジン長老の証し(天に行く死刑囚)を共に視聴しました。彼が働いていた刑務所で死刑囚一人一人を最後まで伝道していて、ある一人の死刑囚は死刑の直前まで放棄してなく祈って、救われることを見て、そこで最後まで放棄してなく救う主の愛の態度を見ることができました。

愛する人のために私が何をしてあげることが出来るか?と聞きました。愛は自分のことを犠牲してあげることです。聖書は自分の命を捨てて愛することよりもっと大きい愛がないといわれます。「人がその友のためにいのちを捨てるという,これよりも大きな愛はだれも持っていません.」(ヨハネ5:13)愛する相手を生きるように自分の命を捨てることです。今日のみ言葉がそれを言われています。

また、愛する人のために耐え忍び、柔和に使えることです。Iコリント13章ではそれを具体的に言われています。愛する相手のために、われらが出来ることは福音によって使えることです。主の福音の命を伝えることです。

この愛は私にはないです。それで、聖書は主が先にわれらを愛したように、愛することを言われます。愛は主の愛を受ける時、御霊様の力によって出来ることです。御霊様によって自分が無くなる時、主の愛が自分に伝われて充満になるときだけ出来ることです。主の愛を受けて、この世で真の愛の人生を過ごすことが出来ますようにお祈りします。

【教会通信】

・兄弟姉妹たちがいつも御霊の導きに従う人生を過ごせますように、このために、いつも主の御臨在の中で留まることができますように、また、主の恵みよって主の部屋に入って主に深く会うことができますように。

・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、キリストと共に死んで、共に生きる人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、御霊様によって主の愛を受けて、福音による愛の人生を過ごせますようにお祈りしましょう。

お祈り下さい

・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。

・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。

・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。