キリストにつぎ合わされた人
2019. 12. 1.
白寅天
n ローマ 6:13-16
13 また,あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません.むしろ,死者の中から生かされた者として,あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい.
14 というのは,罪はあなたがたを支配することがないからです.なぜなら,あなたがたは律法の下にはなく,惠みの下にあるからです.
15 それではどうなのでしょう.私たちは,律法の下にではなく,惠みの下にあるのだから罪を犯そう,ということになるのでしょうか.絶対にそんなことはありません.
16 あなたがたはこのことを知らないのですか.あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば,その服従する相手の奴隷であって,あるいは罪の奴隷となって死に至り,あるいは従順の奴隷となって義に至るのです.
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洗礼はキリストとの連合を意味します。洗礼によってキリストの死と復活に連合されました。私たちの昔、即ち罪のものが死んで、罪の奴隷にならないためです。キリストの復活に連合されて共に生きるようになりました。それで、私たちは罪に対しては死んだ者であり、イエスキリストの中で神について生きた者にあり、そのように思うべきです。そうですから、私たちは罪に自分を捧げてはいけないです。私たちの体を罪の器として捧げなく、義の器として神にささげるべきです。
罪が生まれ変わった私たちを支配することは出来ないです。これは私が律法の中でなく、恵みの下にいるからです。律法的にやらなければならないことではありません。人は従順する対象の奴隷になります。私たちは昔罪の奴隷でしたが、福音に従って罪から解放されて義の僕になりました。
この福音のエッセンスはいつも二つを同時に言われます。洗礼によって生まれ変わって新たな命の中でいるようになって罪を続いて犯すことが出来なく罪が私を支配することが出来ない。恵みによって義を行うようにして下さいます。罪に対して死んで新たに生きるようになったから、罪に従順してなく、自分自身を義の器として捧げるべき。義に従って義の僕になるべきです。
恵みと従順。。これはいつも共にいます。私に義を行う力が無く、善的に神の恵みによって導かれて救いを得ることです。また、主が与えて下さった恵みに従順して受けた教訓に従って自分を義に捧げるべきです。罪に捧げること行けないです。捧げることは恵みによることです。恵みによることは何もしないことではなく、もっと大きい従順があることです。これは自分が死ぬことが必ずあることです。自分が死ぬことによって蘇りがあり、もっと大きい従順があります。これが真に恵みを経験することです。キリストの中で自分が死んで、蘇りの力を経験する人生を過ごせますようにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い娘の人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、主が自分の真の主人となって生けますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、キリストの中で自分が真に死ぬことを学び、蘇りの力を経験する人生を過ごせますようにお祈りします。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。