クリスチャンの苦難
2021. 11. 7.
白寅天
n へブル5:7-9
7 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。
8 キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、
9 完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、
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最近、有名な核物理学者の話を聞きました。かれは今、積極的な福音伝道者になっているけど、かれがイエスキリストを信じるようになったことは、腎不全の病気を持っていた彼の息子に自分の腎臓を移植してあげる過程で有ったと話です。息子による苦難は彼に命を与える神様の恵みの通路でした。Philip Yanceyは「苦しみは神の賜物、しかし、だれも望んでない賜物」と言いました。苦しみには苦痛があるからだと思います。この痛みがある苦しみを神様はなぜ与えるのか?それは人間に必要だからです。苦しみは私たちが主に近く行くようにする、惱みの炉です。そこで、私たちの不純物がなくなることです。(イザヤ 48:10)。堅い自我からはそのままは、不純物が取られないです。それを小さく分けて、温度が高い炉で入れる時、そこで溶けて、不純物が出ることです。しかし、主は銀のようにされないと言われます。我らの弱いことをご存じだからです。
我らが受ける苦しみは、主が受けられました。主はその苦しみによって従順することを学んだと言われます。それでその模範を通すとき、救いの元となると言われます。苦しみは大きい苦痛と共に来ます。それは義と善のために受ける苦しみです。苦しみには、自分の罪によって受ける、弱さや神の訓練のために来ることがあります。しかし、主は、リスチャンの苦しみは、主の苦しみのようなことを耐えるようにお勧めしています。苦しみは、神の声を聞く拡声器だと言われます。ヨブのように苦しみを通して神にあい、その御声を聞き、分の誤りを悟り、霊性が深くなることです。苦しみの時、主に叫ぶと言われます。主は必ず、叫ぶ人に会って下さいます。主の大きい働きを経験し、苦しみの意味、すなわち、我らの救いであることを分かります。私たちを主の恵みの導きによって、成長させて下さいますようにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、我らの救いのために苦しみによって働いて下さる主の恵みを悟り、いつも、御言葉とお祈りの中で主の従順を学ぶことが出来ますように。