#581(2021-12-19)
ひとり子としての栄光
2021. 12. 19.
白寅天
n ルカ 2:14
14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
n ヨハネ 1:14,17
14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
17 というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
n 詩篇 85:10
10 恵みとまこととは、互いに出会い、義と平和とは、互いに口づけしています。
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いと高き所におられる神様、すべての栄光を受けるべき方がこの世に来られました。時間と空間の制約が無かった方が、時間と空間の制約があるこの世で、2000年まえ、馬小屋で、大工の子供として、生まれました。私たちの肉を着て、私たちと同じく、ひもじさ、痛み、疲れ、悲しみを感じる人間として生き、ライ病の患者と住まい、家もなしで、道で寝ながら伝道をしました。最後は我らの罪の代価を支払うために、十字架にかけて死なれました。
キリストが来られたことで、聖書は代表的な言葉で言われてことが今日の御言葉です。それは、栄光、平和、恵み、まこと(真理)、憐み、また、義です。この単語は、福音を意味します。真理と義、恵みと憐み、栄光と平和は、私たちの状態と結果、救いの本質、救いの結果と永遠の神の姿を現しています。
1.真理と義は、人は神から離れて、すなわち、真の自分の生きるべき道から離れていて、義を失い、汚れた罪によって永久に滅びる道に向かって行くことです。律法はそれをもっとはっきり示しています。
2.恵みと憐みは、罪人である人間は、義となって救われるためには、律法の行いには出来なく、ただ神の憐みと恵みによって出来ること、それで、御子イエスキリストを送って下さったことです。
3.栄光と平和は、キリストの贖いのための子羊としての犠牲は神の栄光であり、それかがの義によって平和を持つようになりました。
いと高き所に神の栄光、天と地の人々に平和が、御子イエスによって成し遂げられました。御子イエスキリストに栄光を捧げます。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、2000年前、来られて、神の栄光と我らに平和になった、イエスキリストに栄光を捧げる人生を過ごせますように。
・ラボと矢口兄弟の家でのクリスマスパーティが主が来られた意味を良く覚え、良い祝福の時間となりますように。