聖霊による人生-御霊に導かれる人生
2016. 1. 3.
白寅天
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n ローマ 8:12-14
ですから,兄弟たち.私たちは,肉に從って步む責任を,肉に對して負ってはいません。もし肉に從って生きるなら,あなたがたは死ぬのです.しかし,もし御霊によって,からだの行ないを殺すなら,あなたがたは生きるのです。神の御霊に導かれる人は,だれでも神の子どもです。
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2016年が開けました。今年、新年の希望を考えながら、ローマ8:23「そればかりでなく,御霊の初穗をいただいている 私たち自身も,心の中でうめきながら,子にしていただくこと,すなわち,私たちのからだの救われることを待ち望んでいます。」を考えました。われらの望みは自分の体が救われることです。
これを望んで、うめきともに生み苦しんでいるといわれています。この主の救いを渇望もって待ち望む一年となりますように望みます。
この望みに向かっている人生はわれらの中で御霊様が来られた時から始めました。われらが罪を悟って悔い改め、イエスを信じ、洗礼を受けた時、賜物として御霊を受けたからです。霊的な洗礼を受けて、すなわち、昔のものが主とともに死んで、新たなものがキリストとともに生きるようになって、この新たなものがいらっしゃった御霊に従って生きるようになりました。昔のものはいつも自分の欲望の通り、罪だけを行いましたが、新たなものは御霊に従ってその導きに従うことができるようになりました。それで、聖書は私たちが御霊様に従って生きるべきだといわれています。これが聖霊による人生、御霊に導かれる人生です。御霊による人生はわれら-新たなもの-の選択、または従順の意味です。昔のものに影響を与えたものが罪とサタンでしたけど、御霊様が来られた後からは御霊様が新たなものに影響を与えてくださることです。新たなものは自分に影響を与える力、影響力の中でどちらを選ぶか選択するべきです。私たちは御霊の導きを選ぶべきです。このために主が十字架にかけてわれらを救われたことです。この人生のために負債を持つようになったことです。
聖書でこの人生の姿を一番代表的に表現することは主との歩み、主の前でいる、すなわち、主の臨在の中で留まることです。主の至聖所に入って主に会うことです。主が来られてわれらの心を触って下さり、その声を話してくださることを聞き、主に自分の心を話すことです。ここから、主の導きをわかり、自ら主に従うようになりまし。実際主の臨在を経験できないと、まことに主の御霊に導かれることはできません。今年一年、主の臨在を深く経験し、御霊による人生を過ごし、主の豊かさをもっと経験し、主の花嫁として主の再臨を準備する賢い乙女として生きることを望みます。
【教会通信】
・兄弟姉妹たちがいつも御霊に従ってその導きに導かれ人生を過ごしますように、このために、いつも主の臨在の中で留まることができますように、恵みを与えて主の部屋に入って主に会うことができますように。
・また、主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持つことができますように、また、もっと熱心に互いに交わりますように(QT Shareとメールでの共有、朝のお祈りに参加して、互いに励むことが出来ますように)。
・兄弟姉妹たちが、今年の一年、いつも目を覚まして、古い自分が死んで、主に従う新たなものが、御霊の声を聴き、従う人生を過ごせますように恵みを与えられますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。