#236(2015-1-25)

【メッセージ】『恵みと従順』 白寅天師

ヨハネによる福音書 6章 44-45節

わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたし

のもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。

預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から

聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。

テモテへの手紙一 4章 7節

俗悪で愚にもつかない作り話は退けなさい。信心のために自分を鍛えなさ

い。

▼今日の説教の題目は難しく感じる人が多いですけど、実際、我らの救い、信仰に関するとても大切な

内容です。「恵み」と「従順」と言う単語は聖書で良く出ていることであり、キリスト教と信仰生活で

良く使用しているし、強調されている単語です。この二つの単語は実際に反対の意味を持っています。

他の言葉で言えば、「神の恵み」と「信心の訓練」と説明が出来ます。「神の恵み」は私たちが義人に

なることから、神様に行くこと、従順することすべてが私によることでは無く神の恵みによることの意

味です。「信心の訓練」は神の聖なるに向かって行く私たちの行いと訓練を意味することです。これは

矛盾と見えますし、人間の理性で思うと葛藤の要素になる可能性もあります。▼今日の御言葉でも、主

は「私をお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、誰でも私のもとへ来ることはできない。

(ヨハネ6:44)」と言われました。しかし、イエスを人々に信じること、すなわち、イエスの肉を食べ、

血を飲む者が命を持つと言われました。Iテモテ4:7でも、「信心のために自分を鍛えなさい。」と言わ

れました。自分の選択、自分の訓練を言われます。この世で私たちは自分を献身し、訓練しなければな

らないです。しかし、それが恵みに基づいてしないとそれは自分の義となり、何とも有益が無いです。

すべての霊的な訓練は恵みに基づくべきです。主は裁きの時、自分の行いの基礎が恵みか自分の義化を

判断されます(マタイ25:31-46)。実際に、従順した人だけが恵みを悟り、恵みに基づいて行うことが

出来ます。▼恵みに基づいていない献身や行い:

- 自分の力で献身し、完全ではなく一部を捧げ、捧げたことを誇る。

- 自分が行ったことに自分が高くなり、認定を受けないなら残念だ。

- 他の人、良く出来ない人を判断する。

▼聖書は表面的に行いを多く言われると見えますが、すべてが恵みによると言われています。真の信仰

は恵みによる信仰です。ただ主の義と恵みによって生きて、神から誉められますようにお祈りします。