復活の信仰
2017. 10. 15.
白寅天
n ピリピ 3:10-12
10 私は,キリストとその復活の力を知り,またキリストの苦しみにあずかることも知って,キリストの死と同じ状態になり,
11 どうにかして,死者の中からの復活に達したいのです.
12 私は,すでに得たのでもなく,すでに完全にされているのでもありません.ただ捕えようとして,追求しているのです.そして,それを得るようにとキリスト·イエスが私を捕えてくださったのです.
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聖書で復活の意味を調べると、命と生まれ変わり、力、神の子供の栄光、永遠性、及び強さなどが見られます。十字架で死んだイエスキリストが蘇られたことは、神の力であり、我らに命を与えられることであり、復活の栄光があります。私たちは皆、この復活の栄光に参加したいです。聖書のキリストの蘇りに連合されることを言われます。
普通、クリスチャンは、福音と言うと、キリストの十字架での死、それで、そこで流された血によって私たちの罪が清くなったことを分かります。これは事実ですが、ある真実なクリスチャンたちは、キリストの死から、復活の信仰に行かないことの危なさについて良く言っています。十字架での死と蘇りの信仰の対照は、肉と霊、頭と心、律法の子と約束の子、恵みと真理、肉の割礼と心の割礼として比喩されます。
私たちは復活の栄光を望んでいますけど、そこに至らないことが多いです。復活の栄光は人の欲望から出ることではなく、約束によって、多い実を結ぶ祝福です(ヨハネ12:24)。復活には力と命と変化があり、神の栄光を見ることが出来ます。この復活は自分の死から、即ち、キリストと共に十字架で死ぬ時から来ます。死ぬことが無ければ、蘇りはないです(Iコリント15:36)。主は我らが主に復活の栄光に参加するために、まず十字架の下に導きます。そこで主と共に死ぬことを経験するようにされます。その死から、生まれ変わりを経験するようにされます。それで、十字架で主と共に死ぬことが無ければ、主と共に蘇りも無いです。
今、私が会っている、十字架、即ち自分が死んで行かなければならない時、主と共に死ぬことを謙遜な心を持って受けるべきです。主と共に十字架につけられる時、主が生きておられます(カラテヤ2:20)。肉と頭の理性と律法の信仰から霊と心と約束の信仰に変わることを約束されます。これらすべて御霊様の力によってなさって下さいます。真に主と共に死んで、主の復活に参加する信仰をもって生けますようにお祈りします。
【教会通信】
・兄弟姉妹たちがいつも御霊の導きに従う人生を過ごせますように、このために、いつも主の御臨在の中で留まることができますように、また、主の恵みよって主の部屋に入って主に深く会うことができますように。
・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、キリストと共に死んで、共に生きる人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、十字架で真に主と共に死んで、主の復活に参加する信仰をもって生けますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。