山上の垂訓の八の祝福(6)
2019. 5. 26.
白寅天
n マタイ 5:9
9 平和をつくる者は幸いです.その人は神の子どもと呼ばれるからです.
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今日は平和について考えます。「平和をつくる者は幸いです.その人は神の子どもと呼ばれるからです.」清い動機をもって、ただ主だけが人生の目的になった人が主だけを求める時、神に会い、主の御顔を見ることが出来ます。この人が主を見ながら主の御心を共有して、その生き方によって生きる人が経験することが主の平和で、この平和を作る使役に参加が出来る特権を持つようになることです。
今日の聖句で、平和と言う単語は、ヘブル語で、 שָׁלוֹם 、シャローム(Shalom)、ギリシャ語でεἰρήνηエイレネ(eirene)と言います。ギリシャ語の意味ではone(一つ), peace(平和), quietness(静か), rest(安息)があります。また、シャロームやエイレネの元に意味が何かは難しいですが、一番合う意味として、公義が言われます。平和があるためには公義が満たされるべきです。真の平和は公義が満たされることから来ます。もし、その公義が壊れたらそれがまた立てられるべきです。それで、その壊れた公義を満足されるために、誰かが支払わなければならないことです。誰かの犠牲があるべきです。われらの罪によって壊れた公義がイエスキリストの十字架の犠牲によって神様の公義を満足されました。神の公義を満足するためにキリストが費やされました。誰から費やされる時、誰かは回復されます。このように費やされる人は平和を作る者となります。キリストの死によって私たちが回復されたように、われらも費やされる時、誰かが回復されます。ヤコブ 3:18で、平和が蒔かれて義の実を結ぶと言われます。平和を作る人はその蒔いた平和の種によって義の結果を結びます。その種は自分の犠牲、費やされることです。
神様の公義は、また、力の戦争と裁きによって建てられます。悪と罪には必ずそれにあたる報いがあるべきです。この世の悪人によって苦しまれた善人は主の報いを待ちます(詩篇 28:4、黙示録 6:10-11)。その悪人に報いが無ければそれは神の公義ではありません(黙示録 2:23, 18:6)。主の裁きによって公義が満足される時、完全な平和が来ます。この世で生きる救われた人々はこの日を待ち望みます。
自分を費やされて人々に平和を作る人々は神の子となる祝福を受けます。キリストの平和に参加する者となります。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い娘の人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、主が自分の真の主人となって生けますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、キリストの十字架の犠牲に習って自分を費やされ、平和を作る者、神の子供となる人生を過ごせますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。