n ルカ 9:23
イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
n コロサイ 3:2
あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
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主に従う人生のために、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、主に従うべきです。自分を捨てることは何か、具体的に考えたいと思います。特に、私たちの毎日の生活の中で、何で自分を捨てるべきか、すなわち、自我の破砕が必要であるかを考えたいと思います。私たちが毎日の生活で自分を捨てる領域では、心、言葉、行いであり、心はすべての言葉と行いの元になることです。それで、今日は、心で自分を捨てることについて考えます。
聖書では、私たちの心、または、思い、について、よく言われます。それを整理すると、三つの領域で考えることが出来ます。
1.心の流れ (コロサイ3:2, マタイ8:33, ピリピ 1:3) -人の心の流れが何処へ行くのか、聖書は、地ではなく、天に向かって行くことを言われます。これは自分を否認する時出来ることです。
2.心の内容 (ローマ8:6, マタイ 7:21, 詩篇 119:9-11) - 心では肉(悪の思い)の考えと霊の考え(命と平安)があります。主の御言葉、教訓、知恵を満たすべきです。
3.心への影響(箴言 4:23、申命記 6:6-9, ヨハネ 13:27) – 人の心で影響を与えることがあります。神の御言葉と真理による御霊様の御声なのか、他には悪霊の声なのかを分別するべきです。
この人の心は命の元になります(箴言 4:23)。それで人を通して出ることを決まります。
1.心の考えは、人の言葉の元になります。これによって裁かれます。マタイ12:34-37
2.心は私たちの人生の決定と行いの元になります。私たちの悔い改めと信仰が出来るように、毎日で神様への愛と従順を選択。申命記4:9、王上 8:23
3.心は人の本当の姿を現す。心を見る神様。箴言 24:12, 23:7
心で自分を否認して、主の御声に従ったのかによって我らと教会の方向が変わり、主はこれによって我らと教会を裁かれます。