写しと影から本体に向かって
2018. 3. 11.
白寅天
n へブル 8:2,5
2 人間が設けたのではなくて,主が設けられた真実の幕屋である聖所で仕えておられる方です.
5 その人たちは,天にあるものの写しと影とに仕えているのであって,それらはモ―セが幕屋を建てようとしたとき,神から御告げを受けたとおりのものです.神はこう言われたのです. 「よく 注意しなさい. 山であなたに 示された 型に 從って, すべてのものを 作りなさい. 」
- 黙示録 21:3, 22
3 その時私は,御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた.「見よ.神の幕屋が人とともにある.神は彼らとともに住み,彼らはその民となる.また,神ご自身が彼らとともにおられて,
22 私は,この都の中に神殿を見なかった.それは,万物の支配者である,神であられる主と,小羊とが都の神殿だからである.
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私たちは次のような質問を聞いたり、考えたりします。「天国は悲しみや苦痛が無いと思うが、愛する家族が救われてなく地獄にいることを見ると、天国で悲しみがあることではないか?」と言うことです。神学者たちは天国ではそれが無いといいます。完全に説明は出来ないけど、飯事の例話を通して説明が出来ると思います。この世での人生は、天国での生きることと比較すると、飯事のような、演劇のようなことと思います。ただし、この世での人生は単純に飯事で終わらなく、主イエスキリストの中で本質の人生と繋がることです。この世の関係は、それが大きい愛によって出来たことでも、キリストの以外には、後の世界では飯事のようなことけど、キリストの中では本質の世界、天国で続くことです。
神様は天国の本質の幕屋をこの世でモーセを通して作るようにされて、神殿として建てられて来ていました。この本体の写しは、この世でキリストを通して完成され、後の主の御国では神様と子羊が直接神殿になって、この世の神殿はなくなります(黙示録21:22)。これがこの世の幕屋の本質です。
私たちは影であるこの世で住んでします。家、服、食べ物、神殿、教会。。すべてが本質の影です。本当は意味がないことですが、キリスト中で信仰によって本質につながります(へブル11:1)。「これらは,次に来るものの影であって,本体はキリストにあるのです.」(コロサイ2:17)この世でキリストを通して影から本体に向かって行く人生を過ごせますようにお祈りします。
【教会通信】
・兄弟姉妹たちがいつも御霊の臨在の中で、霊と真によって礼拝する真の礼拝者の人生をすごせますように、また、キリストの死と復活に信仰によって連合される人生を過ごせますように。
・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、この世で、キリストへの信仰と従順を通して影から本体に向かって行き、それを所有する人生を過ごせますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。