真の福音上の礼拝
2015. 12. 20.
白寅天
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n カラテア 2:20
私はキリストとともに十字架につけられました.もはや私が生きているのではなく,キリストが私のうちに生きておられるのです.いま私が,この世に生きているのは,私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです.
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真の礼拝の基礎は真の福音です。正しい福音にいる時、真の礼拝が出来ることの意味です。先週には真の礼拝が全ての真の心を持って御霊様によって捧げる礼拝だと言いました。真の心と霊による礼拝の初めは福音から始まります。今日は真の福音について考えます。今日の御言葉は真の福音を良く要約しています。それはキリストと共に死んで、共に生きることです。使徒パウロは「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく,キリストが私のうちに生きておられるのです。」と告白しました。この人生は私たちの福音の人生を良く見せられる事です。ここから、真の礼拝が出来るから、我らはこの真の福音で正しい基礎を持つべきです。
福音については、真の悔い改め、罪の赦しの洗礼-キリストと共に十字架につけられることとキリストと共に生きること(使徒2:38、ローマ6:4-6、コロサイ2:12)、また御霊様に導く通り従うこと(ローマ8:4-5)を聖書は言われます。福音による真の生まれ変わることです。これは御霊様によって自分の罪を悟ることそれから真に悔い改めることから始まります。この悔い改めを持ってイエスを信じる時、神様は我らに霊的な洗礼をして下さいます。この洗礼は昔の罪の自分をキリスト共に十字架に掛けて下さってそのものを殺して下さいます。これは肉的に思うなら誤解されやすいです。この昔の者(自分)は、罪の奴隷になって罪に従うべきもの、律法と結び付けてその下で生きるべき自分、それで律法の守りによって裁かれて結局滅びに行くべき負債を持った者を意味します。このものが死んで(滅びて)、律法による罪の裁き、罪に従うべき規則から離れるようになったことです。キリストの血による罪の完全な免除、赦しを意味します。キリストと共に生きるのは罪の裁きとは関係ない、罪に従わなくでも良い自由な者、神様との関係を結ぶ新たな者が造られたことです。この新たなものは自分の中でおられるキリストの霊、御霊に従って完全な律法の要求を満たすことが出来る素晴らしい存在です。この昔のものが死に、新たなものが生きることが今も続いている人生を過ごすことが真の福音の人生であり、真の礼拝を捧げる人生です。この福音の中でいつも留まって、真の礼拝を捧げる人生を続ける皆さんとなりますようにお祈りします。
【教会通信】
・兄弟姉妹たちが真の礼拝者になるために、主が与えられる聖なる人生によって清い衣を着させますように(黙示録 19:7-8)、主の日を待ち望む中で御霊様の力が臨まれ、主との深い交わりと従順ができますように (IIペテロ 3:11-13)、また、主の愛の高さ、深さ、広さを悟りその愛を持って過ごせますように(エペソ 3:16-19)。
・また、主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。また、主の日が近づいているのを見て、もっと熱心に互いに交わりますように(QT Shareとメールでの共有、朝のお祈りに参加して、互いに励むことが出来ますように)。
・兄弟姉妹たちが、キリストと共に死んで、キリストと共に生きる人生によって真の礼拝を続いて捧げることが出来ますようにお祈りしましょう。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。また、お祈りの中で、主の愛をもって彼らに福音を伝えることができますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。