#556(2021-6-27)

聖書の教訓と解釈

2021. 6. 27.

白寅天

n IIテモテ 3:15-17

15 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。

17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。

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使徒パウロがこの手紙を書く時は、約AD 64年ごろ、自分が死ぬ前、テモテに、遺言見たい送る最後の手紙です。ここで、かれは、「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」と言っています。その中で聖書は、今の聖書ではありません。それは文字的に、その時、彼らのユダヤの社会で読んでいる、旧約聖書です。また、今、自分が書いている手紙が、後、新約聖書になることも知らなかったです。しかし、私たちは、いま、この御言葉で言われる聖書は、旧約聖書と新約聖書、66冊の御言葉で有ることを疑うことなく、受けています。この御言葉である聖書は、当時の旧約聖書で有ることを分かるけど、それが今の聖書を意味することとして解釈することで問題ないこと私たちは認定します。

昔は聖書を特別なグループだけ読んで解釈するべきと言ったが、聖書は信じるすべての人が読んで解釈し、自分の霊的な救いと成長に助かるものとなるべきです。しかし、聖書が警告している通り(IIペテロ3:16)、難しい部分を無理やりに解釈して自分で曲解することに注意する必要があります。正しい聖書の解釈がないと危ない状態に落ちる可能性があるからです。ここで、Walter A. Henrichsonが書いた、平信徒のために聖書解釈のガイドでの内容を何項考えます。

- すべての聖書の解釈の基準を聖書から認めるべき。伝統や理性がその基準になれない。聖書の解釈は聖書の中である。

- 聖書を正しく解釈することは救いの信仰と御霊様によって可能である。

- 聖書の根本的目的は私たちの人生を変わることである。

- 御言葉はただ一つの意味を持っていてその意味は文字的に解釈するべき。

御言葉に真理が我らの人生を変わりますようにお祈りします。

【教会通信】

・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、毎日主の御言葉を良く食べ、黙想して、それが人生を変わるし、実を結ぶことが出来ますように。