自己破砕の人生とは
2021. 8. 29.
白寅天
n ルカ9:22-23
22 そして言われた。「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。」
23 イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
---
今日の御言葉は主に従う弟子の人生について言われます。自分の命を懸けて自分を否認し、毎日自分の十字架を負い(すなわち自分の死によって)主に従うことです。自己否認は自分の命を失うこと、すなわち自分の死と深い関係があります。主がこれを言われる背景で、ルカ9:11-22, マタイ 16:21-23で見ると、主が宗教指導者たちによって苦しみを受け死になることを言われるとペテロはこれが決して主に起こらないと言った場面で有ります。実際にこの状況は、先には五つのパンと二つの魚のしるしで主の力を見た人々がイエスを王とする雰囲気で有ったことです。
これから王になる主が苦しいを受け死になることは彼らには衝撃でした。それでペテロをこのように言ったことです。その時主はこの死が復活になり、命を失う時それを得るようになることを言われます。これは殉教の意味もあるが、自我の死、すなわち自我の破砕を意味します。
イエスを信じることは自我の死を口だけでなく、その人生を過ごすことの意味です。自我の死の意味は何ですか?それは禁欲や節制の意味も共通的にあります。この世でも耐えて節制して努力すると良い結果が出せられます。似ている原理で、敬虔の訓練もそうです。毎日のQT, お祈り、聖書暗記、伝道など例外なしでするとよい結果があります。これは霊的な成長のための一つの道具になります。
もっと内部的な面で例えば、自分は罪がないけど、汚名を取って牢屋に入ったり、子供が殺されたりする苦しみが来た時、相手を赦すか、他には復讐をするかの選択で自分の肉の自然的な方向が変わられる奇跡の人生を過ごすことが聖書が言われる自己破砕の意味だと思います。また、この主と隣人を愛する人生が過ごせることが自我破砕の姿だと思います。私の行いより、主を真に愛すること、主を愛するから自分の命を失うことが喜んで出来ることです。この主の花嫁として準備される私たちとなりますようにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日自己破砕のために与えて下さる恵みを受けてよく守り、主が真の主人となる信仰の完成に向かって最善の走りが出来ますように。