心配しない人生
2022. 3. 6.
白寅天
n マタイ 6:31-34
31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。 32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。 33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
---
心配はすべての人が持つものです。心配しない人は一人もいないです。しかし、だれも心配はしたくないです。先週、この世で怖い人は、この世で失うことも、どんな希望も、明日も無い人だと話しましたけど、人は何か所有し、明日の計画と希望をもって、生きるべき存在です。明日があるから心配があることです。時間があるこの世では過去への後悔、未来への心配があるべきです。
私たちは大きい小さい心配をもって生きています。なぜ、私たちは心配をもって生きますか?
1. 罪によって歪曲された本性によって心配を持つようになります(マタイ 6:24, 33)。人は神に使えると言いながら、富にも使えます(24節)。ここで、富は自分自身を意味します。自分を使えることが、この世で衣食住の問題になる元となることです。なぜなら、私たちの生活の必修である、衣食住は、神様が満たされると約束されておられるからです。しかし、サタンはこれによって人を脅かします。神の国とその義をまず求めることが我らの本来の姿です。この原理を歪曲された所で生きるので心配することです。
2. 信仰がないからです(マタイ 6:30)。神様が必要なことすべて満たされることを信じることから心配から離れることが出来ます。信仰が無いことと心配をすることは同じ意味です。信仰は自分が無くなって主が主人となる我らの義であります。
どうやって心配をしない人生が出来るでしょうか?主の御国とその義をまず、第一に求めること、そのお祈りをすることです。主の統治が自分に来られる時、すなわち、御霊様に従う時、主の信仰が経験されて、主の平安と確信を持つようになります。主の御霊の実を豊かに結べますようにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の御国とその義とをまず第一に求めるお祈りによって主の信仰を持ち、確信の中で、平安と喜びの実を豊かに結べますように。