見ずに信じる信仰
2018. 4. 15.
白寅天
n ヨハネ 20:27-29
27 それからトマスに言われた.「あなたの指をここにつけて,わたしの手を見なさい.手を伸ばして,わたしのわきに差し入れなさい.信じない者にならないで,信じる者になりなさい.」
28 トマスは答えてイエスに言った.「私の主.私の神.」
29 イエスは彼に言われた.「あなたはわたしを見たから信じたのですか.見ずに信じる者は幸いです.」
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イエス様が死んで蘇られた後、トマスはほかの弟子たちが主を見たと言う時、自分は主の手の釘の所を見て、直接自分の手を指し入れないと主が生きたことを信じられないと言いました。そのような彼に主は来ておられ、直接、それをするように言われます。また、「信じない者にならないで,信じる者になりなさい.」と言われました。トマスがイエスは私の主と私の神を答えて言ったあら、主は「あなたはわたしを見たから信じたのですか.見ずに信じる者は幸いです.」と言われました。信仰では、見て信じる信仰と見ずに信じる信仰があります。主は見ずに信じることが幸いであると言われました。聖書が言われる、見ずに信じる信仰が何か考えます。
初めに見ずに信じる信仰は理性を超える信仰です。見て信じる信仰は理性で理解してそれを経験したり、理解することです。しかし、見なくて信じることは主が言われたことをそのまま信じることです。この信仰では、主が言われた御言葉を経験することから来ます。「それで,イエスが死人の中からよみがえられたとき,弟子たちは,イエスがこのように言われたことを思い起こして,聖書とイエスが言われたことばとを信じた.」(ヨハネ 2:21-22)
次に、この信仰は、私たちが望んでいますが見えないことを見えるようにしてくれます。「信仰は望んでいる事がらを保證し,目に見えないものを確信させるものです.昔の人々はこの信仰によって稱贊されました.」(へブル11:1-2)また、神様の認めがあります。信仰による人生を通して、この世で彼の心が何かが明らかに証明されます。
次に、この信仰は神様を喜ばれます(へブル11:6)。また、この信仰は自分が死んだとき、即ち自分には何も希望が無い時来ることです(へブル11:12, ローマ4:20,21)。主によって与えられる信仰です。これらすべて、主の恵によって、自分の従順を通して、私たちの中で立てられます。この信仰を持ちますようにお祈りします。
【教会通信】
・兄弟姉妹たちがいつも御霊の臨在の中で、霊と真によって礼拝する真の礼拝者の人生をすごせますように、また、キリストの死と復活に信仰によって連合される人生を過ごせますように。
・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、主の御言葉を信じ従順するとき、恵によって見ずに信じる信仰を通して主に喜ばれる人生を過ごせますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。