山上の垂訓の八の祝福(3)
2019. 5. 5.
白寅天
n マタイ 5:6
6 義に飢え渇いている者は幸いです.その人は満ち足りるからです.
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今日の御言葉は、自分が義に飢え渇いているのを見たら、喜ぶことを言われ、その飢え渇いていることが満ちたれることを約束しています。ここで義は何ですか?ギリシャ語で、δικαιοσύνη[dikaiosuné]であり、righteousness, justice、正しいこと、義、正義の意味を持っています。他の聖句では、神様が正しいこととして認めることを意味します。義である方は神様以外にはいないです。ただ神様が義であり、基準であり、神様が義と認めることだけが義であります。
義では、神様の義と人の義があります(マタイ6:33, ローマ 9:30)。神様によって義と認められるか、人によって義と認められるかを人はいつも選択しなければならないです。人々はよく人から義と認められること、即ち自分の義を立つように頑張っています(ローマ 10:3)。義は我らの行いから来るのではなく、キリストの信仰から来ます。キリストの信仰が義です(ピリピ 3:9, カラテヤ 2:16)。義は我らの救いと命を意味します(イザヤ 45:8, カラテヤ 3:11)。ただ義人だけが神様の御もとに行けます。この神様の義がキリストの信仰によって私たちに与えられる時、われらが義となり、御霊様によって義なる人生をすごすことが出来ます(ローマ8:4)。義では神の義と人の義があることを注意しなければならないです。神の義を求めることで聖書が言われることを考えます。
1. 神の義は我らの行いからでなく、主によって無料で与えられます(イザヤ 55:1)。その恵みの場で行くならただで与えられます。これは真の悔い改めを意味します。
2. 主を慕い喘ぐことです(詩篇 42:1)。義に飢え渇いている人は義である主を渇いている鹿のように追い求めます。
3. 主の御言葉を慕います(詩篇119:20, 131, 174)。御言葉とお祈りによる主との交わりを強く望みます。
4. 主の国と日と待ち望みます(IIペテロ 3:12)。主の再び来られる日、主の国が立てられる日を切に望みます。その希望によって、聖なる人生に最善を尽くして生きます。
これらのことが自分にあるなら喜びなさいと言われます。その人はその飢え渇いていることが満たされ、天国を所有します。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い娘の人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、主が自分の真の主人となって生けますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、自分の義ではなく、主の義に飢え渇いて、切に主を慕い求める人生を過ごせますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。