ただ神を待ち望むために
2016. 6. 12.
白寅天
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n 詩篇 62:1-2
私のたましいは默って,ただ神を待ち望む.私の救いは神から来る.
神こそ,わが岩.わが救い.わがやぐら.私は決して,ゆるがされない.
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最近何週間、詩篇に書いているダビデのお祈りを黙想しました。そこで、ダビデの主との同行を見ることが出来ます。一つ素晴らしいことが見つかれますが、それは、ダビデのお祈りの初めと終わりの表現です。これは詩篇10-22編、35,40, 52-61編でよく出ています。そのお祈りの詩は、激しい苦しみと圧力の中でにいるダビデが助けて下さるお祈りを始めますけど、終わりの時には主に会うことによって、主の救いを悟り、悪人を裁くこと、また、主の御国来られることについて、望み感謝することです。今目に見える問題や苦しみから離れて、最も大事な、ただ主に心が向かっていて、主の救いと主の栄光の日を待ち望むようになったことです。今自分の周りである問題や辛い環境によって苦労することより、命の主である神だけを待ち望むことです。
我らの心がただ主に行くことは、苦しみからであることを私たちはよく知っています。「苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、あなたの言葉を守ります。」(詩篇119:67)のように苦しみは我らの過ちを悟り矯正するようにします。これは聖書のある個所で信仰の試練として書いています。ヤコブ1:3-4では、信仰の試練が忍耐を生じると言われますし、ローマ 5:3-5では、患難が忍耐を、また忍耐が品性を生み出すと言われます。IIペテロ1:5-7では、忍耐に敬虔を加えると言われます。これを共に考えると、試練の忍耐から敬虔な品性、即ち神の品性が立てられると言われています。この神の品性、即ち人格は、我らの希望である、神の愛が御霊様によって我らに注がれることです(ローマ5:5)。主の愛によって生きることは我らの人生の最高の目標です。この望みは忍耐から生み出す神の品性の約束があるからなされることを信じます。
どんな状況でも、黙ってただ神を待ち望み、主の救いと永遠の御国と裁きを見て、主を褒めたたえる人生を過ごせますように祝福します。
【教会通信】
・兄弟姉妹たちがいつも御霊の導きに従う人生を過ごせますように、このために、いつも主の御臨在の中で留まることができますように、また、主の恵みよって主の部屋に入って主に深く会うことができますように。
・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、キリストと共に死んで、共に生きる人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちがどんな状況でも、黙ってただ神を待ち望み、主の救いと永遠の御国を見ることが出来、忍耐をもって神の品性を自分の中で立てられますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。