終わりの時の7年の患難
2020. 06. 28.
白寅天
ダニエル 9:24-27
24 あなたの民とあなたの聖なる都については,七十週が定められている.それは,そむきをやめさせ,罪を終わらせ,咎を贖い,永遠の義をもたらし,幻と預言と確證し,至聖所に油をそそぐためである.
25 それゆえ,知れ.悟れ.引き揚げてエルサレムを再建せよ,との命令が出てから,油そそがれた者,君主の来るまでが七週.また六十二週の間,その苦しみの時代に再び廣場とほりが建て直される.
26 その六十二週の後,油そそがれた者は断れ,彼には何も殘らない.やがて来るべき君主の民が町と聖所を破壊する.その終わりには洪水が起こり,その終わりまで戦いが続いて,荒廢が定められている.
27 彼は一週の間,多くの者と堅い契約を結び,半週の間,生贄とささげ物とをやめさせる.荒らす忌むべき者が翼に現われる.ついに,定められた絶滅が,荒らす者の上にふりかかる.」
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黙示録5章で、子羊であるイエスキリストが、玉座に座っておられる方の右の手から、終わりの時の裁きと主の御国の回復に関する巻物を受け取りました。それで、6章から、子羊が七の封印を一つづつ解き始めます。これは主の終わりの時が始める大事な意味を持っています。この内容は黙示録6章から19章まで大部分で記録しています。これはダニエル章の預言と深い関係があることです。即ち、70週の最後の残り、1週の期間の意味と解釈します。
無千年説では、黙示録を抽象的に解釈して、7年の患難がないと思っていますが、それは長く前、中世時代から建てられた節であり、その時には抽象的解釈しなければならない状況でしたが、主の初臨後2000年が過ぎた今は、聖書の記録が単純に抽象的なことだけでなく、文字的になさることを経験しながら、前千年説が説得力を持っています。
文字的なこともあり、霊的なこともある聖書を人として完全に理解や解釈が出来ないことを告白します。しかし、一般的に分かられている、四重解釈(文字的、教訓的、アレゴリー的、霊的)を、バランスをもってするべきです。神様に大事なことは、主の聖なる敬虔な聖徒として主が主人となる人生を通して実を結ぶ人生を過ごすことです。不完全な人の属性は主の完全さに任せるべきです。
この説教では、黙示録6章-19章の内容がダニエルの70週の残り1週の期間をどのように展開されるかの意味に基づいて話して行きます。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、霊的なバビロンから離れることが出来ますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、主の日が近づいているこの時期に目を覚まして、聖なる敬虔な人生を過ごすように、いつも主を主人として自分を置き、従って生けますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。