クリスチャンの連合
2021. 10. 31.
白寅天
n エペソ人への手紙4:1-4
1 さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。
2 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、
3 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
4 からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。
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クリスチャンが一つになることは、主の望みです。聖書では、御霊様が一つになるようにして下さり、そのようになるために最善を尽くすことを言われます(エペソ 4:3)。主は、私たちを、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるように呼んでで下さいました(ローマ15:5-6)。これを言われた主の御心を思います。神様から離れて自分の欲望に従って生きた昔の罪の人生から救い出された主の御心は、御霊様による新たな人生を過ごすことを望んでおられます。新たな人生は、主の愛に倣って他の人々の罪と弱さを赦し、忍耐をもって互い愛することです。肉にはこの力はないですが、御霊様の助けによって出来ると約束されます。主を信じるクリスチャンはこの主の愛の中で、互いに愛し、連合するべきであり、それが当然です。しかし、肉の中でいる人は、分裂があり、互いに分けて、自分の派を作ることが自然的です(Iコリント1:10-15)。
教会の歴史で、色々な分裂がありました。カトリックと改信教(改革教会)、長老教会とメソジスト教会、最近は、色々な主義によって分かれることが見られます。もちろん、この分裂が、御霊様の中で一つになろうと言う聖書の御言葉に従わなかったと断言することは出来ません。その分けには、聖書に書いている主の御言葉と真理に従うために、或は、主の御言葉に従うために自然的に行われたことがあります。
しかし、最近、話題になっている、カトリックと自由主義者との連合は別の問題と信じます。十字架の敵や異端とは連合が出来ないし、共にしてはならないです。しかし、聖書の御言葉とただ主イエスキリストの十字架による救いと御霊様による人生、すなわち、福音の中で、連合して、一つの心で主イエスキリストの父なる神をほめたたえる人生で生きるべきです。特に、背教がある、今は、この連合に目を覚まして生きる時期です。主の恵みをお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、御言葉とただ主イエスキリストの十字架による救いと御霊様による人生一つの心で主イエスキリストの父なる神をほめたたえる人生を過ごせますように。