#441(2019-3-10)

主のお祈り(4)

2019. 3. 10.

白寅天

n マタイ 6:12

12 私たちの負い目をお赦しください.私たちも,私たちに負い目のある人たちを赦しました.

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負い目は、ギリシャ語で「ὀφειλήματα」で、負債(debt)、犯罪(offense)、罪(sin)の意味を持っています。それで、KJVでは、debtとして、韓国語では罪として翻訳されています。罪を負債として比喩されている所は、マタイ18:21-35です。そこで、一万タラントと百デナリの負債を持った人の例話を言われます。その背景は、ペテロが何度まで赦すべきかを聞くとき言われたことです。ペテロがそれを聞いた背景についてははっきり出てないで突然したと見えますが、イエス様の赦しまでの説教がある所までの初めであるマタイ18章の1節からを見ると、弟子たちが聞いた、天国で誰が一番偉いなのかの問題ではないか、推測も出来ます。これを支持する御言葉はマタイ20:20-28で、ゼベダイの子たちの母が天国で自分の子ともを主の隣の席を与えて下さることをお願いした時、残りの10人の弟子たちが「腹を立てた」と記録しています。

先週、日ごとの糧を求めることについて、私は出来ると思っていますが、負い目がある人を赦すことは絶対に出来ないと思う人々が多いと言われます。心に傷を受けた人々が赦すことの話を聞くとアレルギー反応を見せることをよく見ます。一時的に抑えることがするかも知れないけど、心から赦すことは出来ないです。主は七度を七十倍するまで赦すことを言われましたが、実際に、このように赦すことは人の力では出来ないことです。これは、相手の状態にかかわらず、自ら、心から赦すことです。人にはこの赦しの力が無いです。これは主の品性である、主だけが出来る赦しです。この赦しは生まれ変わった人だけに出来ることです。自分が死んだ人、それで、主が生きておられる人だけが出来ることです。前は出来たけど、また、自分が生きるようになるとまた、出来なくなります。それで、この赦しも、主の求めるべき毎日の日ごとの糧です。

毎日、主と共に死んで、主と共に生きる時出来ることがこの赦しです。それで、赦しは、自分の救いを明確に証明することです。主は人を心から赦さないとあなたの罪を赦さないと言われました(マタイ 18:35)。赦しはわれらの救いと直接関係があることです。主はこの赦しの様子を日ごとの糧と共に、赦された人、即ち救われた人の人生として言われました。

【教会通信】

・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い娘の人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、主が自分の真の主人となって生けますように。

・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、毎日自分が死んで主が生きる人生を通して、心から人の罪、即ち負い目を赦す人生、生まれ変わった人の人生の本質で生きることが出来ますように。

【お祈り下さい】

・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。

・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。

・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。