#523(2020-11-8)

弟子の人生とは

2020. 11. 8.

白寅天

n マタイ 28:19-20

それゆえ,あなたがたは行って,あらゆる国の人々を弟子としなさい.そして,父,子,聖霊の御名によってバプテスマを授け,

また,わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように,彼らを教えなさい.見よ.わたしは,世の終わりまで,いつも,あなたがたとともにいます.」

---

最近、アメリカの選挙を見ながら、これからもっと心を尽くして準備するべき時期になることを実感しました。今年の教会の票語、バビロンから離れる人生を過ごすために、弟子の人生がその精確な答えになると確信します。先週に続いて、弟子の人生についてもっと具体的に考えたいと思います。

弟子の人生は、主の地上命令、マタイ28:19-20に定義されています。はじめ、主の弟子はまず、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授けた人です。教会で形式的な洗礼を受けたことではなく、御霊によって心に洗礼を受けた、生まれ変わった人です。次に、主が命じておいたすべてのことを守る人です。主の命令に従って生きる人生、それは、弟子の意味であるように、主に従って生きることで、私たちは、これに関連する代表的な御言葉、ルカ9:23-24と14:26-27でその意味を知ることが出来ます。

主に従う人は、自分を捨てて、日々自分の十字架を背負う人生を過ごす人です。23節で十字架を負う人生は、自分の命を主のために失うことです。自分を捨てる人が、自分の十字架を負う人生、すなわち、毎日自分が十字架にかけて死ぬ人生を過ごすことが出来ます。これを簡単にすると、自分の主人が自分から変わって主になること、主が真の主人となる人生です。

また結論的になるけど、御霊様によって洗礼を受けること、また、自分が死んで主が主人となる人生は、決して自分の力では出来なく、恵みによって御霊様によって生けることです。それで、毎日、大きい、また、小さいことで、自分を捨てて、命を懸けて従う必要があります。今日の小さい従順が自分の人生の方向を変わります。今は小さく見えるけど、遠く行くと大きい差があることです。今日、小さいことで、主が望んでいることを自分を否認して、従うことが大切です。今日の小さいことを良い良心と信仰をもって従うと、主に喜ばれます。御霊様によって力を受けて、今日も、主の弟子として、バビロンから離れる人生を過ごせますようにお祈りします。

【教会通信】

・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、霊的なバビロンから離れることが出来ますように。

・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、小さいことで自分を捨てて、主が望んでおられることを命かけて従う主の弟子の人生過ごせますように。

【お祈り下さい】

・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。

・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。

・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。