#461(2019-8-11)

王である祭司の栄光-殉教者

2019. 8. 11.

白寅天

n Iペテロ 2:9

しかし,あなたがたは,選ばれた種族,王である祭司,聖なる国民,神の所有とされた民です.それは,あなたがたを,やみの中から,ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしい御業を,あなたがたが宣べ伝えるためなのです.

n 黙示録 20:4

また私は,多くの座を見た.彼らはその上にすわった.そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた.また私は,イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと,獣やその像を拜まず,その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た.彼らは生き返って,キリストとともに,千年の間王となった.

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最近、私たちが黙想しているQTの聖句、エゼキエル書 45章から、王(君主)が出ています。彼らはイスラエルの聖なる土地、即ち神の神殿がある所で住まい、人々を統治し、すべての節季や贖罪の犠牲を捧げます(エゼキエル 45:16-17)。これは王である祭司(Iペテロ 2:9)と黙示録20:4と一致します。主イエスキリストの中でいる人は、選ばれた種族、王のような祭司、聖なる国民、神の所有の民である栄光の存在です。天でこのような栄光でありますが、黙示録 20:4で見ると、「イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たち」とを意味します。

ある方たちは、後、大患難に入って敵キリストが獣の印を受けないと殺す時、絶対に受けなく、死ぬことを明確に言います。それを受けたら地獄であることを分かるのでそれは当然に受けないことです。しかし、黙示録20:4を見ると彼らは、イエスの証しや神の言葉によって殉教された人々と同じレベルであることが分かられます。私たちが知っている殉教者、ペテロ、パウロ、ポリカプなどの殉教は一日で突然や偶然に出来たことではなく、自分の人生で自分が死んでキリスト生きる人生を過ごした、即ち毎日自分が否認されて主の十字架を背負って生きた人々です。

殉教は神様の恵みによって招かれて、主が導く人が受けることです。実際に殉教をする人は毎日自分が死んで主が生きる人生を過ごし、その日々殉教の人生を過ごす人です。毎日殉教者の精神をもって主が何処で導いても従って生きる人生を過ごせますようにお祈りします。

【教会通信】

・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い娘の人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、主が自分の真の主人となって生けますように。

・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、毎日十字架で主と共に死んで生きる殉教者の精神をもって主が何処で導いても従って生きる人生を過ごせますように。

【お祈り下さい】

・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。

・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。

・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。