患難の基礎の上立てた教会
2019. 7. 21.
白寅天
n ローマ 5:3-5
3 そればかりではなく,患難さえも喜んでいます.それは,患難が忍耐を生み出し,
4 忍耐が練られた品性を生み出し,練られた品性が希望を生み出すと知っているからです.
5 この希望は失望に終わることがありません.なぜなら,私たちに与えられた聖霊によって,神の愛が私たちの心に注がれているからです.
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先週ミラノの学会に安全に行って帰って感謝します。先週のメセージで分かち会ったミラノ勅令の事件は教会の大きい変化を持って来ました。それは、迫害と苦しみから信じることで認定と良い環境です。その当時は、神様の力ある働きによって異邦の宗教からクリスチャンになった皇帝が行った良い政治的な変化だと思いましたが、それがキリスト教の真理を変わって信じる変質されたキリスト教に行くようになる不幸なことでした。外部的に良く見える、特に生きることで良い環境で楽に過ごせるようにする豊かな環境は決してわれらの信仰の人生では良くないことを経験して分かっています。今回、ミラノでミラノ勅令を考える時、主が教会(特にすぐ韓国の教会)をその勅令の以前の教会、スミルナ教会、または、初めのエペソ教会の状況に戻られることを感じました。なぜなら、主はその教会たちが患難の中で忍耐したことを称賛しましたからです。
患難は誰も望んではならないことですが、クリスチャンの人生で主の聖なる民として生きるために必ず必要なことです。今日の御言葉、ローマ5章1-5を見るとクリスチャンの二つの人生の特徴を言われます。一つは神の恵みによってキリストの信仰の上立てて神との平和と栄光を求める人生と過ごすこと、もう一つは患難の中で忍耐して義の品性が立てられることです。これは救いの本質である、恵みのゆえに信仰による義と御霊様の助けによって患難の中で立てる聖なる聖徒の品性の実です。患難の根の上、それを忍耐する時作られる聖徒の品性は、御霊様によって神の愛をもって生きる希望を持つようにされることです。患難は聖徒として選ばれることではなく、必修であります。私たちは国で、社会で、教会で、自分の周辺で、自分の心の中で色々な形で来てわれらを精練します。それをよく忍耐して通過する時、素晴らしい聖なる品性の実が結ばれます。この実を結ぶわれらとなりますようにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い娘の人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、主が自分の真の主人となって生けますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、自分に来る患難をよく耐えて聖なる品性の良い実が作られて神の愛をもって生きることが出来ますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。