#413(2018-7-29)

何処の者か?

2018. 7. 29.

白寅天

n ルカ 13:23-27

23 すると,「主よ.救われる者は少ないのですか.」と言う人があった.イエスは,人々に言われた.

24 「努力して狭い門からはいりなさい.なぜなら,あなたがたに言いますが,はいろうとしても,はいれなくなる人が多いのですから.

25 家の主人が,立ち上がって,戸をしめてしまってからでは,外に立って,『ご主人さま.あけてください.』と言って, 戸をいくらたたいても,もう主人は,『あなたがたがどこの者か,私は知らない.』と答えるでしょう.

26 すると,あなたがたは,こう言い始めるでしょう.『私たちは,ごいっしょに,食べたり飲んだりいたしましたし,私たちの大通りで敎えていただきました.』

27 だが,主人はこう言うでしょう.『私はあなたがたがどこの者だか知りません.不正を行なう者たち.みな出て行きなさい.』

---

今日の御言葉を見ると、人々が救いに関心が有ることが見えます。ある人が救われる人が少ないのですか?と聞きました。主はそれは狭い門ですから入ろうとする人々が少ないと言われました。「いのちに至る門は小さく,その道は狹く,それを見いだす者はまれです.」(マタイ 7:14)。それに加えて、24節では狭い門に入ろうとしても入れなくなる人が多いと言われます。主は金持ちが神の国にはいるより、らくだが針の穴を通るほうがもっと易しいと言われました。これを思うと救われる人々がほとんどいないと見えますが、人は出来ないですが神様は出来ると信じます。

聖書は救いについて次のように比喩として説明しています。

1.救いに入る道や門として比喩しています。

2.その門は一回閉められると、また開けないです。

3.その門に入られる基準は、主が人が何処の者かを知ることです。

門を開いて下さいと願う人々、特に彼らは主のために働いた人々ですが、主は彼らが何処の者かを知らないと言われます。なぜ主は彼らをどこの者かを知らないと言われますか?それは彼らが主によってすることではなく、自分によってしたからです。主は主が主人になって狭い門に入った人はご存知です。しかし、自分が主人になって狭い門に見える道を歩んでも知らないです。これは我らにすごく厳しい警告を与えることです。今私が入っている門のソースは何かを深く反省するべきです。いつも私たちの働きの元が主人となりますようにお祈りします。

【教会通信】

・兄弟姉妹たちがいつも御霊の臨在の中で、霊と真によって礼拝する真の礼拝者の人生をすごせますように、また、キリストの死と復活に信仰によって連合される人生を過ごせますように。

・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、自分の元が主になって主が言われることを従って生きる人生を過ごせますように。

・来週から始めるペク兄弟のお父さんの治療で主が働きますように、また、心を福音によって準備されますように。

お祈り下さい

・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。

・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。

・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。