#414(2018-8-5)

信仰の基礎:自我の死

2018. 8. 5.

白寅天

n ガラテヤ 2:19-21

しかし私は,神に生きるために,律法によって律法に死にました.

私はキリストとともに十字架につけられました.もはや私が生きているのではなく,キリストが私のうちに生きておられるのです.いま私が,この世に生きているのは,私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです.

私は神の恵みを無にはしません.もし義が律法によって得られるとしたら,それこそキリストの死は無意味です.」

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今回、父の病気のために病院にいながら、各家族や人々の色々なこと見たり、聞きました。問題の差はあるけど、すべてが問題をもっています。ここ日本にも、私たちの教会でも、問題があります。心を押す圧力の力を感じる時もあります。その問題があること、また問題が本当に心の問題にあることの基礎では自分が主人となっているからです。自分が死んでなくキリストが主人にならなかったからです。

福音の基礎、一番大事な本質は自分がキリストと共に死んでともに生きることです。真に自分が死ぬことから新たな人が生きることとキリストが生きておられることが出来ます。キリストを受け入れてクリスチャンになったと言っても、まだ、昔の人のパッタンが同じくあることがどれほどよく見られるでしょうか?使徒パウロは自分がキリストと共に死んで、キリストが自分のうちに住んでおられると告白しました。イエスを信じると言う前、自分が真に死んだのかを確実にする必要があります。自分が死んだことを聖書に基づいて考えます。

1. ガラテヤ 2:19-21 完全な律法の守りが救いだと信じそれに自分の人生のすべてになったパウロは律法に死にました。イエスを信じる前まで自分の人生の一番大事なことについて死ぬことです。

2. ローマ 6:3-7、ヨハネ 12:24-26 洗礼によってキリストの十字架で主の死と連合されて、自分がいなくなることです。洗礼は真の悔い改めと信仰を通して主によって与えられることです。自分の意志的な従順も含めます。

3. Iコリント15:31, IIコリント 4:10-12 毎日キリストの死を背負って共に死ぬ人生を続けることです。

罪の本体である肉は生きている内にいるから、毎日昔の者がキリストと共に死んだことを信じ、その死の中で生きるべきです。真に自分が死ぬことを通して救い主キリストを経験しますようにお祈りします。

【教会通信】

・兄弟姉妹たちがいつも御霊の臨在の中で、霊と真によって礼拝する真の礼拝者の人生をすごせますように、また、キリストの死と復活に信仰によって連合される人生を過ごせますように。

・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、真に自分がキリストと共に死んで福音の中で留まることが出来ますように。

・兄弟姉妹たちが、夏休みの間、健康の中で主と近く歩みますように。

お祈り下さい

・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。

・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。

・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。