救われる信仰について
2021. 3. 21.
白寅天
n ヤコブ 2:19-21
19 あなたは,神はおひとりだと信じています.りっぱなことです.ですが,悪霊どももそう信じて,見振いしています.
20 ああ愚かな人よ.あなたは行ないのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか.
21 私たちの父アブラハムは,その子イサクを祭壇にささげたとき,行ないによって義と認められたではありませんか.
n ローマ 11:4-5
ところが彼に対して何とお答えになりましたか.「バアルにひざをかがめていない男子七千人が,私のために残してある.」
それと同じように,今も,惠みの選びによって残された者がいます.
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最近のQTの御言葉であるヤコブ書は行いについて強調しています。目を覚まして祈りことと救われる信仰とは直接な関係があります。信じると言っても真に信じるわけではないです。真の信仰はなにか!聖書には、その信仰は行いによって現れると言われます。
私たちは、決心して「信じる」と言うなら、他には、御霊の素晴らしい超自然的な経験をするなら(麻薬を止めたり)、他には、罪を悟って涙を流したり。。このようなことがあれば、彼を信じる者と思うし、これらは信じた人に現れる大事な特徴です。しかし、このような人も、後見たら、真に信じたことではないと思うケースが多くあります。信仰の実が続いて最後まで結ばれることが見えられるべきです。
この信仰の行いの実が結ばれることが表すために色々なケースがあります。普通は従ってしたいですが良く出来ないのでいつも葛藤しているケース、ある人は、少ないけど自分の強い意志と決心で目標したことをするケース、多いケースは恵みで出来ることなので私が何をやらないと自分で自己弁疏に落ちるケースがあります。しかし、神はいつも恵みを与えられておられるので、神が恵みを与えられないので自分が出来ないことではありません。アブラハムやラハブのように、自分の一番大事なことがささげられる、自分の命を懸けて生きることが、恵みによって自然的に表れるべきです。もちろん、自然的に言っても、その中で自分の自我との徹底的な戦いは必ずあり、主の恵みによって、勝利を得ることです。これが残られる人の姿です。サタンとの強い戦争の中で生き残っている人々、恵みによって選ばれて、バアルにひざをかがめていない人として、神の相続者となることです。この恵みを受けて生きる私たちとなりますようにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、いつも恵みを与えられる神に従って、実を結ぶ真の人生の信仰の人生を過ごせますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。