#242(2015-3-8)

【メッセージ】『福音と宗教』 白寅天師

ガラテヤの信徒への手紙 2章 16節

けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信

仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを

信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰に

よって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっ

ては、だれ一人として義とされないからです。

▼福音とは自分の高慢と罪によって神の栄光から離れて地獄に行っているがそれも知らない絶

望的な人間のために神の御子キリストが人間の罪の代価を十字架で死に、血を流されたことに

よって支払し、神に帰る救いの道を備えて下さったことであり、この世で、イエスキリストの

恵みによってその信仰を受け、昔の人がスキリストと共に死に、またキリストと共に生き返し

て、神の命の中で過ごすことが出来たことです。福音によって人はイエスの信仰の中で生き我

らの中でおられた御霊様によって、神が望んでおられる罪から勝利する人生義の人生を過せる

ようになりました。すべてが神からの恵みの賜物です。▼しかし、人々はこの福音を宗教化し

て、変わりました。外に見えには福音と見えますが、実際は真の福音と反対に行ってしまいま

した。口ではイエスを信じると言い、自分では聖書に従うと言いながら、その実が福音に相応

しい実ではないことです。その理由を宗教活動から見つかることが出来ます。人によっては良

い信仰を持っている、熱心があるクリスチャンですけど、宗教活動に落ちやすいです。外に見

える奉仕、善行、信心の訓練を熱心にしていますが、そこにキリストが見つけられないことで

す。その理由がいくつかあります。

- 人の罪の属性であり傾向です。人間は自分の力で自分の義の目標を達成したいからです。

- 聖書の御言葉を深く知らないからです。御霊様の助けが無い聖書の理解。

- 自分の固執の中で囲まれているからです。

▼自分の限り主に捧げて頑張って主に使えていますが、それが自分の力によってして、結果が

出るなら自分の義となり自分の栄光になります。口では神に栄光を帰すと言っても、心は自分

に栄光を帰するなら、それは呪いです。どれほど多い所でこの宗教活動を励んでいますか?

自分の信仰はキリストの信仰であり、このキリストの信仰によって救われて、恵みによって罪

から勝利し、主の業に励むことが出来ます。キリストの霊が我らの中で働き、主の御業を行う

ようにお祈りするべきです。