私は目を覚ましているのか?
2021. 8. 15.
白寅天
n 詩篇30:6-12
6 私が栄えたときに、私はこう言った。「私は決してゆるがされない。」
7 主よ。あなたはご恩寵のうちに、私の山を強く立たせてくださいました。あなたが御顔を隠され、私はおじ惑っていましたが。
8 主よ。私はあなたを呼び求めます。私の主にあわれみを請います。
9 私が墓に下っても、私の血に何の益があるのでしょうか。ちりが、あなたを、ほめたたえるでしょうか。あなたのまことを、告げるでしょうか。
10 聞いてください。主よ。私をあわれんでください。主よ。私の助けとなってください。
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教会の今年の標語を考えます。「これらの起ろうとしているすべての事からのがれて,人の子の前に立つことができるように,絶えず目をさまして祈っていなさい.」(ルカ21:36) 主は「絶えず目を覚まして祈っていなさい」と言われます。この理由は肉にいる我らの霊は良く寝易いからです。今日の説教の題目が「私は目を覚ましているのか?」だけど、寝っている人は自分が今寝っていることを感じられなく、知らないです。誰かが起こしてあげる必要があります。起こしてあげる方はただ主だけです。今日の御言葉で、詩篇記者は、「主よ。あなたはご恩寵のうちに、私の山を強く立たせてくださいました。あなたが御顔を隠され、私はおじ惑っていましたが。」と言っています。この状況はヨブの状況が一つの例だと思います。自己義の中で寝っているヨブに、神様の御顔を隠したら、彼は中で隠されている自己義が現しました。神は「わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。」と言われますが、ヨブは何一つ答えが出来なかったです。目が覚めて真の悔い改めをもって主に行きます。目を覚ましていることは、真の悔い改めをもって主に行き、自分が死んで、主が生きておられ、御霊様の声を聞いて、その声に従って生きることです。寝ることはこれがなくなった状態です。これは自分の理性で分かることではありません。霊によって悟ることです。
いつも主と直接交わりし、主の栄光の光を出しているか?いつも目を覚まして喜びをもって主の御言葉に従っていますか?霊が寝る時があり、主に従順することが難しいことを感じますか?霊が良く寝ることがあり、自分が壊れることで苦労していますか?まだ自我が生きていて受動的信仰生活をしていますか?
自分の信仰を良く顧みて、自我破砕によって主に行き、目を覚ます人生を過ごせますようにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、この終わりの時、自分の信仰を良く顧みて、自我破砕によって主に行き、目を覚ます人生を過ごせますように。