【メッセージ】『悲痛を持つ悔い改めとお祈り』 白寅天師
ネヘミヤ記 1章 2-5 節
兄弟の一人ハナニが幾人かの人と連れ立ってユダから来たので、わたし
は捕囚を免れて残っているユダの人々について、またエルサレムについ
て彼らに尋ねた。彼らはこう答えた。「捕囚の生き残りで、この州に
残っている人々は、大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています。エ
ルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです。」これを聞
いて、わたしは座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神
に祈りをささげた。わたしはこう祈った。「おお、天にいます神、主
よ、偉大にして畏るべき神よ、主を愛し、主の戒めを守る者に対して
は、契約を守り、慈しみを注いでくださる神よ。
教会の中で、わかりきる美辞麗句、リバイバル、霊的に覚醒という言葉がよく聞かれま
す。デイヴィッド・ウィルカーソン牧師はこう言われました。「それを聞くことがもう疲れて
倦むことです。それは、いま、どんな意味もないただ聞きよい話だけです。なぜなら、それが
だれも、何も変わることが出来ないからです。教会の中で、自分の愛する家族が救われてほし
いと言っているけど、ただ言葉だけ、きれいごとばかりいうだけです。アメリカの腐敗、神様
に対して敵対、ビジネスの腐敗、教会が死んでいるという言葉も今もう疲れ、倦みます。ただ
むなしいであり、意味がない言葉です。大きい霊的な集会も問題を解決が出来なく、現在を住
む方法、教会の成長方法、人間関係、Computerを通して社会に影響を与える方法の対しての
集会は肉的なことであり、霊的な力がないです。それによって世に影響を与えなく、だんだん
教会が世から影響を受けています。世の音楽が、世の娯楽が神の家を掌握しています。教会は
しかりや懲らしめを身震いするように嫌いです。誰も神様の御言葉を聞かないようにしていま
す。ある教会でそこでいらっしゃる聖なる神の隣在が隠された罪を一つ一つ浮き上がるように
する教会を見たことないです。神の人々が神様の顔を求めたから、若い者が罪によって心の呵
責を受けているその神の隣在がある教会を行ったことがいつですか?若者たちが自分の罪に
よってとても苦しく、痛くて神様の顔を求めることが見たことが何時ですか?」
すべての真面目な情熱は悲痛から始めます。ネヘミヤは神様の心を共感して、その悲痛を
感じました。それで、その痛みをもってお祈りしました。神様はこのように同じ悲痛の心を
持ってお祈りする、また従順する人を探しています。ここでいる皆さんがこの悲痛をもってお
祈りする祝福を受けますようにお祈りします。