いつもキリストが自分の全て
2016. 3. 13.
白寅天
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n ピリピ 1:20、3:8,9
20 それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。
8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、
9 キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。
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私たちが良く知っている、讃美歌の歌詞の作者、クロスビ(Fanny J. Crosby)死んだ時、彼女の墓碑で次の文が書いていました。” Blessed assurance, Jesus is mine! Oh, what a foretaste of glory divine!”「 主が私の中におられる祝福の確信、どれほど素晴らしい栄光の神を味わうことか!」讃美歌の歌詞です。また、彼女は「自分が天国に行った時、自分の目に見える、自分を喜びを持って迎えに来る初めの顔は、主の顔である。」と言いました。これも讃美歌(My Savior First of All)の歌詞です。彼女が何時も望みをもって歌った賛美はこの二曲だと思います。
この心は使徒パウロの証と同じです。ピリピ 1:20で「生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。」と言い、「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。」と言いました。いつも、主が自分に一番大事にして、主だけを求めました。これはダビデもこの証をしました。「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。」(詩篇16:8)いつも主の幕屋に留まりました。主のご臨在の中で留まったことです。
目に見えないクロスビがいつもお祈りの中で、主の救いの祝福に感謝し、主に会うことを望んだように、使徒パウロがいつも自分の中でキリストがすべての望みなった人生、主のご臨在の中で過ごす皆さんとなりますように心からお祈りします。
【教会通信】
・兄弟姉妹たちがいつも御霊の導きに従う人生をごしますように、このために、いつも主の御臨在の中で留まることができますように、また、主の恵みよって主の部屋に入って主に深く会うことができますように。
・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、もっと熱心に互いに交わりますように(QT Shareとメールでの共有、朝のお祈りに参加して、互いに励むことが出来ますように)。
・兄弟姉妹たちが、いつもキリストが自分の中ですべての望みにあるように、主のご臨在の中で留まることが出来ますように。
・3/18-20日の宣教師の交わりが祝福と良い時間になりますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。