アドナイ・シャマー
2022. 6. 19.
白寅天
n エゼキエル 48:30,31,35
30 町の出口は次のとおりである。北側は四千五百キュビトの長さで、
31 町の門にはイスラエルの部族の名がつけられている。北側の三つの門はルベンの門、ユダの門、レビの門である。
35 町の周囲は一万八千キュビトあり、その日からこの町の名は、『主はここにおられる』と呼ばれる。」
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アドナイ・シャマーは、「主はここにおられる」の意味で、空間と時間の意味が同時にあることです。エゼキエル書の初めでは、神の玉座と栄光が神殿から離れます。今まで神は神殿でおられましたが、その臨在が離れることで、イスラエルの滅びを意味します。しかし、エゼキエル書の終わりには、主が共におられること、それとも永久におられることを言われます。主の永遠の御国の回復の意味です。
昔から神様が共におられることは、神の民には一番大事なことでした。はじめの人、アダムとエバは、いつも神様と共にいましたが罪を犯した後、神と離れるようになりました。今日の御言葉で出るアドナイ・シャマーは神と共にいるエデンの回復の意味です。人間が神様のエデンから離れた後は、神の時空間と人間の時空間が分けるようになりました。神の時空間をギリシャ語でカイロス時空間と言い、この世の人間の時空間は、クロノス時空間と言います。
エデンでは、クロノスとカイロスが一致されていた、人の罪の後、分けるようになって、クロノスでの時空間は、単純に自然の繰り返しだけがある無意味な所になりました。しかし、神のカイロスの時空間は、神様の御心、すなわち意味がある所と時間であり、神の民には、そのカイロスが我らの人生で来られる時があります。ヤコブがベテル神の天使が開かれた門を通して来ることを見る時、エゼキエルとヨハネが開かれた天の門を見ることがその時です。カイロスの時空間がクロノスの時空間に来ることは、ただ、神の子供たち(ローマ8:19)を通してであります。神の子供たちは、使徒ヨハネが御霊様に満たされて、天の門を通して神の玉座に行ったように(黙示録4:2)、御霊様によって充満に感動されることです。主を信じている私たちは神の神殿であり、神の霊が留まる所です。このクロノスに神の永遠のカイロスの時空間が来られるようにすることが出来ます。主の御国が立てられる時、永久に主は私たちとおられます。主が来られてこの国を立てていつもおられますようにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の十字架で自分を否認し、御霊様に満たされて、神がおられるカイロスの時間を経験しましょうに。