真の悔い改め
2024. 11. 03.
白寅天
詩篇 52:1-5
1 神よ、あなたのいつくしみによって、わたしをあわれみ、あなたの豊かなあわれみによって、わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。 2 わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清めてください。 3 わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。 4 わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。 5 見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。
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真の悔い改めは我らの真に人生の生き方であり、救いの元になります。今日はこの悔い改めの生活について考えます。詩篇51篇を考えてみましょう。 これはダビデが書いた詩です。この詩篇51篇では、ダビデがウリヤの妻を犯して罪を犯した後、ナタンからその罪を指摘された後、その罪を悟り、悔い改める内容を記録したものです。 ここで、私たちがどのように罪を悔い改めるべきか、その過程を教えてくれます。
1.自分が罪を犯したという事実に気づき、認める段階です。 罪を自覚し、自己の罪性を告白することです。ダビデは自分の罪に気づかず、神様が私を送ってその罪を指摘された時、その罪を悟るようになります。自分の心を良く顧みる必要があります。
2.自分が犯した罪の性質とその本質を悟らなければなりません。そこには三つの単語があります。罪過、罪悪、罪です。
3.神に逆らっていることに気づき、それを告白することが必要です。これは神の愛を悟ることです。
4.自分のどんな弁明も出来ないことを認めるべきです。
5.自分が生まれた時から悪くて罪深い存在であることを悟って認めなければなりません。
このような内容が自分の人生に真の悔い改めをもたらす一つの姿だということです。神様はこのようなあなたの罪を洗い流すために、十字架でその罪の代価を払ってくださいました。 その血によって、私たちの罪を雪よりも白くしてくださいました。真の悔い改めは毎日続く必要があり、恵みによって出来ることなので、切に主の恵みを求めるべきです。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、何時も目を覚まして祈って感謝を植えることが出来、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、いつも主の愛の中で目を覚まして自分自身を良く顧みて、神に対する自分の罪を真に悔い改めて、十字架の血によって清く生きることが出来ますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも自分を主と共に十字架でかけて主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。
信仰の世代について(I)
2024. 11. 10.
白寅天
へブル 11:1, 39-40
1 さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである 39 さて、これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。 40 神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。
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先週まで真の悔い改めとその生活について考えてきましたが、今日からは悔い改めから来る信仰について考えてみたいと思います。 聖書は信仰を神様とその御言葉に対する全面的な信頼と確信と定義しています。ヘブライ人への手紙11章1節は、信仰を「望んでいる事がらを確信」であり、「見ていない事実を確認」と説明しています。この信仰は単なる理論ではなく、本当に自分を否定し、神への信頼とその御言葉に従順し、行動で現れる実際の献身です。聖書は旧約と新約の信仰について語っていますが、今日はまず、旧約時代の信仰について見ていきます。旧約聖書の最初の世代はアベルからノアまでで、彼らは神の審判と救いの希望を抱いて生きていました。
アベルは信仰でより良いいけにえを捧げ、エノクは神と同行し、天に召されました。 特にノアは目に見えない警告を受け、箱舟を準備し、信仰を示しました。
第二世代はアブラハムからモーセとカナン征服の時までです。アブラハムは神様が召された時、知らない土地に進み、モーセはエジプトの富を捨てて神の民と一緒に苦難を受けることを選びました。彼らは神の約束を信じて従順し、約束の地への希望を抱いて生きていました。第三世代は、カナン征服後からイエス・キリストが来られるまでです。ダビデと預言者たちは、神の御心に従って戦争に勝利し、苦難の中でも信仰を守りました。旧約の様々な預言者と聖徒たちは、メシアの来臨を待ち望み、神の永遠の国を望みながら生きていました。
しかし、へブル11章は、これらの信仰の人物が生涯、約束されたメシアを直接見ることができなかったことを述べています。しかし、彼らの信仰は新約の聖徒たちと一緒に完全な救いにつながりました。 イエス・キリストを通した新約は、旧約の聖徒が望んでいた「より良いもの」であり、これによってすべての聖徒が神の救いの計画の中で完全さを成し遂げることができました。今日、私たちはこの信仰の模範に従って、自己を否定し、神を全面的に信頼し、イエス・キリストが成し遂げた救いの約束をつかまなければなりません。
この信仰の中で、私たちの人生が主に完全に捧げられ、従順と献身でその証拠が現れる人生が生きることを切に祈ります。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、何時も目を覚まして祈って感謝を植えることが出来、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、いつも自分を否認し、ただ主にすべての信頼を置き、御言葉に従って、信仰の証拠が現れる人生を過ごすことが出来ますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも自分を主と共に十字架でかけて主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。
信仰の完成の実―愛
2024. 11. 24.
白寅天
ローマ 13:8-10
8 互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は、律法を全うするのである。
9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する。
10 愛は隣り人に害を加えることはない。だから、愛は律法を完成するものである。
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愛は神の最も基本的な性質であり、人間の創造と人生の目的であり、律法の完成として語られています。ローマ書13章とマタイによる福音書22章によると、神への愛と隣人への愛はすべての律法を含み、愛は隣人に悪を行わないことであり、これは単に他人に害を与えないことではなく、敵を愛することを意味します。
神様の愛は、ローマ5:8に示されるように、私たちが罪を犯した敵であった時にも、ご自分の独り子を犠牲にすることで現れました。 このような愛は自己犠牲的で、条件なしで与えるものです。イエス様は弟子たちに互いに愛し合うという新しい戒めを与え(ヨハネ13:34-35)、互いに愛し合う時、キリストの弟子であることを知ることができると言われました。
この愛は私たちの努力から出るのではなく、聖霊によって注がれるものです。
ローマ5:3-5は、苦難、忍耐、鍛錬、希望の過程を通して、聖霊によって神の愛が私たちの心に注がれることを示しています。試練は私たちの信仰を純粋にし、神に対する希望を確固たるものにし、最終的に愛の実を結ぶようにします。
2ペテロ1:5-8は、信仰から始まり、愛に至る霊的成熟の段階を示しています。 信仰は徳、知識、節制、忍耐、敬虔、兄弟愛につながり、愛はすべての徳目の完成であり、実です。愛は単に感情や努力でできるものではなく、聖霊の助けと神の恵みによって結ばれます。
1コリント13章は、愛を自分が愛することができない敵のような対象に対して愛する聖書的な愛、神の本質を示しています。このような愛は苦難と試練を通して得られ、聖霊の働きによって私たちの中に実を結ぶようになります。
神の恵みの働きによって、自己否認と聖霊の力によって、愛の実を豊かに結ぶ人生を生きることを主の御名によって祝福します。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、何時も目を覚まして祈って感謝を植えることが出来、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、主への信仰に基づいて毎日いつも自分を否認し、忍耐によって生き、主の御霊様によって神の愛が注がれる人生を過ごすことが出来るように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも自分を主と共に十字架でかけて主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。