荒れ野の人生-上にあるものを求める人生
2015. 8. 16.
白寅天
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ヘブル人への手紙 3章 17-19節
また、四十年の間、神がいきどおられたのはだれに対してであったか。罪を犯して、その死かばねを荒野にさらした者たちに対してではなかったか。
また、神が、わたしの安息に、はいらせることはしない、と誓われたのは、だれに向かってであったか。不従順な者に向かってではなかったか。
こうして、彼らがはいることのできなかったのは、不信仰のゆえであることがわかる。
コロサイの信徒への手紙 3章 1-2節
さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。
上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。
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イスラエルがエジプトから出て荒れ野に入り神の民としての訓練を40年間そこで受けて、カナアンに入ったように救われて人の人生が荒れ野で信仰の訓練を通過することを聖書は言われています。
有る荒れ野の研究したある牧師はクリスチャンの人生は山を登ることではなく荒れ野を通過することだと言いました。この世の考え方は人々に山を登るように教えていますが、山に登る人生は主と共に行けない時がよくあるし、自分自身も色んな被害を受けています。我らの人生で有る時には山を登る時、すなわち大事な目標が有ってそれを達成してほしい時が有るけど、それが終わったあら、多い時間に荒れ野を通過します。荒れ野の人生は成功を目標として上ることではなく、生きてその荒れ野を通過して出たら成功だと言われます。荒れ野で神の声を聞き、幕屋の中で住んでいつも移動が出来る準備をすること、喉が渇くとき生きている水を貰え、オアシスと恵みの露が有って耐えて行けることを経験します。この荒れ野の人生を要約すると、この世の成功を求めることではなく、荒れ野で神の導きを経験することです。
この人生は今日のコロサイ3章の御言葉のように上にあるものを求める人生です。その理由は我らがイエスを信じる時、自分自身が死んで、キリスト共に復活した命がキリストと共に神の中で隠されているから、すなわち人生の方向が反対の側に変わったからです。キリストが我らの中で生きておられることを学ぶことが荒れ野の人生です。もう神は上のものを求める力を与えて下さいました。それを信じ、従順する時その素晴らしい人生を受けることが出来ます。その信仰と従順を学び、荒れ野を通過してカナアンの安息を得ることが出来ますようにお祈りします。
【教会通信】
・兄弟姉妹たちが真の礼拝者になるために、主が与えられる聖なる人生によって清い衣を着させますように(黙示録 19:7-8)、主の日を待ち望む中で御霊様の力が臨まれ、主との深い交わりと従順ができますように (IIペテロ 3:11-13)、また、主の愛の高さ、深さ、広さを悟りその愛を持って過ごせますように(エペソ 3:16-19)。
・また、主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。また、主の日が近づいているのを見て、もっと熱心に互いに交わりますように(QT Shareとメールでの共有、朝のお祈りに参加して、互いに励むことが出来ますように)。
・兄弟姉妹たちが、信仰と従順を通して荒れ野の人生を成功的に過ごして、カナアンの安息を得ることが出来ますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。また、お祈りの中で、主の愛をもって彼らに福音を伝えることができますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。